カルメ焼

放映中の朝ドラで、主人公がカルメ焼にかぶりつく場面が印象的に使われています。子供の頃、縁日や祭の屋台での買い食いは厳禁でした。買い食い禁止は学校の決まりでもありましたが、博多は水が悪く、父の幼い妹が疫痢で亡くなったことが影響して、我が家では衛生状態に信用の置けない食物を口にすることは絶対禁止だったのです。綿飴もカルメ焼も、初めて屋台で食べたのは大学生になってからだったと思います。

ドラマではかるやきと言っているようですが、我が家では祖母たちはカルメ焼、父はカルメラと言っていました。調べると、もともと「甘い」という意味のポルトガル語「かるめろ」から来ているらしい。今でも縁日などでは作って売っているようで、学校で実験として作ったり、家庭で簡単に作れる用具セットも出ているようです。専用の道具は赤銅のお玉杓子と小さな摺り子木ですが、我が家ではいちど祖母が、小さな焙烙で作ってくれた記憶があります。赤ザラメや重曹は、当時は普通に家庭でも使うものだったのですが、出来栄えはやや重く、あの軽い、さくさく感はいまいちでした。近年は包装して菓子屋で売っていることもありますが、あれは目の前で作る過程が楽しいのです。重曹を投入した途端に(重曹の量と入れるタイミングがコツ)みるみる膨らんで、固形化していくのが劇的。包装されたら別物、ただの駄菓子でしかない。

囓るとかしゃりと崩れる歯触り、そして赤ザラメ独特の香りが生命。ドラマでは現代のハンバーガーのように綺麗な紙で包んで渡されますが、あの当時はせいぜい新聞紙に載せるか、熱いよ、と言いながらそのまま渡されました。ちなみに焙烙に似た小さな土鍋を行平(ゆきひら)と呼ぶことを、偉そうな口を利く近代文学専攻の上級生が知らなかったので呆れたのは、東大の大学院に入ってすぐ、明治文学注釈ゼミでのことでした。