信濃便り・盆花篇

長野の友人から、メールが来ました。[今日はお花市でした。以前なら、12日の夕方から夜にかけて、個人商店の店先にお盆用の花々が並べられ、綿あめなどのちょっとした屋台まで出て、子供たちにとっては嬉しいイベントでした。

昨今は農家が自家栽培の花をスーパーに持ち込むため、街全体がにぎやかになるというわけではありません。でも、スーパーのフロアが色とりどりの新鮮な花でいっぱいになる光景は、それはそれで良いものだと思いました。]

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信濃のお花市

なるほど、これだけ花でスーパーが一杯になるというのは、故郷ならではですね。東京の花屋は寂れています。コロナで冠婚葬祭がなくなったため、市場が引き受けないのだそうで、その分地元で消費されるのでしょうか。色鮮やかな蝦夷菊は盆花の定番(以前は同じく定番だったリアトリスは、最近あまり見かけなくなりました)。

子供の頃、民話集で、小僧が山に供花を摘みに行き、奥へ行くほど花が大輪になる(たしか曼珠沙華でした)ので、どんどん山奥へ迷い込み、山姥に捕まってしまう話を読んだことがあります。かつては盆花は、山へ採りに行くものだったのです。百合とか、女郎花とか、茱萸の実とか・・・我が家は日蓮宗なので、祖母の代は仏壇には樒しか上げませんでした。盆棚に蓮の葉を敷いたり、みそはぎの枝で水を撒く風習は、小説の中で知りました。尤も湘南で暮らしていたので、湿地帯に生えるみそはぎの自生はあまり見かけず、初めて他家でしげしげと見た時は、豆科ではないのにどうして萩というんだろう、と思いました。栽培して切り花にしてもいいくらい、可憐な花なのに、とも。

友人の言では、旧盆を過ぎるとどの果物も美味しくなるのだそうです。さすが果実王国。湘南では、土用波が立つ(クラゲも出る)ので海へ入れなくなる時期でした。