ヒロシマの新緑

TVニュースで、原爆慰霊碑の前に並ぶG7の首脳たちを視ました。やっとここまで来た、とまず思いました。曲線屋根の向こうに揺らぐ炎―私たち日本人は、あの火が同朋を焼き尽くした(焼け跡から採られた)火だということを、見る度に思い出すのだ、と知って欲しい、と思いました。保存工事を繰り返して古代遺跡のような趣を帯びてきた原爆ドームを包む新緑が、美しく目に沁みます。しかし、ヒロシマには百年草木は生えない、と言われた絶望の時期があったことも知って欲しい。

記念植樹を終えた時、植えられた桜の若木に向かって十字を切った首脳が複数、いました。怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ、と言われるそうですが、決意の広島G7にして欲しいと思いました。つぎの目標は、ここにロシアと中国の首脳が立つことだ、とも。

昼過ぎ、ウクライナの大統領が自らG7会場へやって来ることが報じられました。本気だな、と思うと同時に複雑な気持ちになりました。彼は必死で武器供与を求め、中立を保とうとしているいわゆるグローバルサウスにも、旗幟鮮明にすることを求めるでしょう。当然です。しかしそれが、平和を遠ざけることになってはいけない。強面で反転攻勢の態勢を誇示するとしても、真に望んでいるのは和平であり、これ以上互いの犠牲が増えるのは望まないという基本姿勢は明示し続けて欲しいのです。

慰霊碑に刻まれた誓詞ー安らかに眠って下さい あやまちは繰り返しませぬから、という語句に主語がないことが非難された時期がありました。いったい誰が過ちを犯し、誰が反省して、誰が誰に誓うのか、と。しかし無名性は汎用性でもあります。主語が明記されなかったことによって、誓いは全人類のものになったのです。