友人が、コロナ下での買い物を心配して野菜を送ってくれた中に、蕗の束がありました。子供の頃、モヤシの足切りやサヤエンドウの筋取り、蕗の茎剥きは私の役目でした。月に何回かある「お命日」は、祖母が精進料理を作る慣わしでしたが、そういう日はよく蕗が出たのです。当時の蕗はアクが強くて、爪の中までが真っ黒になるのが嫌でした。剥いた後、木灰か重曹を入れて茹でました。

さあどうしよう、重曹は常備していないが、と友人に問い合わせたら、細いものはそのまま、太いものは茹でこぼした後半日くらい水にさらす、とのこと。その日は細いものを塩ずりして、油揚げと一緒に味醂と醤油で煮ました。蕗の香りが台所一杯に漂って、ああいい香りだったんだと思いました。この日の献立は、ベーコンとたらの芽を白ワインと塩胡椒で炒めたもの、自家製のセロリ醤油漬、冷奴の明太子載せ。

残りの蕗はアクを恐れて茹ですぎ、香りは飛んでしまいましたが、白だしで煮ました。蕗を活かすにはこの方がいいようです。献立は鶏挽肉と芹の塩炒め、明太子を柚子果汁で洗った小鉢に蕪の浅漬、大ぶりな盃に盛りつけたミニトマトのマヨネーズ添え。去りゆく春を堪能できました。我が家ではブロッコリーの茎や、胡瓜、蕪、長芋などを拍子木に切って、ジャムの空瓶で醤油漬を作るのですが、蕗もやってみることにしました。

3日目はシラスと一緒にきんぴらにし、唐辛子を振りました。献立は鰺の刺身、牛の切り落としとアスパラガスの炒め物、蚕豆、ブロッコリーにマヨネーズ。きんぴらは作り置きにもなり、酒肴にもなる。蕗はもう、昔の蕗とは違うのですね。

こうして、過去に受け入れ難かったものたちと1種ずつ、あるいは1人ずつ、仲直りしていくのが老後の醍醐味かもしれません。