源平盛衰記の伝本

拙稿「源平盛衰記の伝本を見直す」(「国語と国文学」6月号)が出ました。要旨は以下の通りです。掲載誌についてのお問い合わせは、明治書院03-5292-0117まで。

 源平盛衰記の本文研究は、より古い、中世に遡れる本文を追究する目的と、読者にテキストとして提供できる底本を探し求める目的とを抱えたまま、昭和50年代に出発した。本稿ではその後の研究成果をふまえて、慶長古活字版と整版本以前の写本とを見直し、本文評価の基準を再検討する。
 その結果、盛衰記本文はⅠ静嘉堂文庫本・蓬左文庫本とⅡ慶長古活字版との2系列に分かれ、関東大震災で喪われた黒川本はⅠに近接すること、成簣堂文庫本はどちらかといえばⅡに近いが一致はしないことが判明した。殊に成簣堂文庫本は、弘治2年校合の識語がある故に現存最古の源平盛衰記写本だとする説(川瀬一馬氏も肯定的に紹介している)が通行しているが、識語の書かれた位置や時期、本文の校異注記との関係などに疑問があり、本書そのものは、川瀬氏の頭初の見立て通り慶長頃、古活字版制作と同時期かやや後に、書写及び校合作業が行われたと推定するのが妥当だと思われる。
 盛衰記の写本は、どれも直接の親子関係ではなく、古活字版の底本は目下のところ不明である。現存源平盛衰記の本文異同は、ごく近接した範囲内に留まるが、異説の摂取や解説的記事の書式については慶長頃まで試行が続いていた。静嘉堂本・蓬左本・慶長古活字版・成簣堂本の本文のよしあしについては、横並びと言うべきだろう。
 古活字版の刊行によって本文は一旦固定し、その後の整版本刊行によって盛衰記は近世社会に広まった。無刊記整版本は版木が潰れるまで増刷され続け、刊記を入れたり版元を変えたりしつつも幕末に至る。一方、現存する写本は必ずしも古活字版以前に作られたとは限らない。それぞれ異なる目的を以て、書写乃至校訂が行われたものである。