九月尽

朝、窓を開けた途端、空気の中に何か甘いものが交じっている気がしました。気のせいかな、と何度も空気を吸い込んで確かめました。木犀の季節になったようです。この界隈に越してきた頃はあちこち木犀の生垣や古木があったのに、次々に伐られて今はあそこ、ここ、と数えられるほどになってしまいました。前回の東京五輪(10月10日開会だった)におもてなしとして植えられ、東京は春は花の雲、秋は木犀の香りで包まれる街だったのです。

用があって丸ノ内の銀行へ出かけました。ワクチン接種会場の案内人が立っていましたが、人出その他はコロナ前と変わらないようです。駅舎前の広場はタクシー乗り場やバス停ができて、ごみごみした感じになりました。

2時間ほどで用も済み、人にも逢って、東京駅の地下街に降りました。緊張する用件だったので疲れが溜まり、直帰することにして通路にある成城石井に入りました。全店おつまみ用品、といった品揃えになっています。以前はけっこう地方名産品も出してあって、旅の代替気分を味わえたのですが、今は手っ取り早い食品ばかり。やむなく酒の棚から、インド、タイ、スコットランドの缶ビールを選んで帰りました。

明日で騒がしかった9月も終わります。和歌の世界では、3月と9月の末は特別に季節を惜しむ気持ちがつよい。「九月尽」と言えば秋も終わり、冷たい時雨が走り過ぎる季節ですが、新暦では彼岸花が咲き終わり、木犀の香りにしばし忘我の至福を味わう季節です。モンブランケーキが食べたくなったり、「白玉の歯に浸み透る」独り酒が恋しくなったり。そう言えば、今年は未だに秋虫の声を聞きません。草叢が、全くと言っていいほどなくなってしまったのです。