体験的電子事情・HP開発篇

先週の土曜日、朝日新聞の「はじまりを歩く」という欄に、「日本初のホームページ」という記事が載りました。日本で初めてのHPは、1992年9月30日、つくば市の高エネルギー物理学研究所から発信された、というのです。当時の日本には、加速器を使って未発見の素粒子を探す「トリスタン計画」というプロジェクトがあり、同様の研究をしていた欧州合同原子核研究機関の計算機科学者が情報検索を容易にするwwwを開発して、偶々訪れた日本人研究者にHPを作るよう誘ったのだそうです。

その日本人森田洋平は、30分ほどで英文の高エネルギー物理学研究所のHPを作り、これが日本初のHPで、世界の研究者と情報共有ができるようになったが、その時は重大なこととも思っていなかったという。これに注目したのが非公開ながらwwwを利用していたNTTの研究グループで、未だ世界に10数個しかなかったHPを閲覧、日本にもある、面白そうだからと93年10月、勝手にNTTの英語版HPを作り、多言語化を試み、同年12月に日本語版を公開、あちこちに出来始めたサイトへのリンク集も掲載した、とのこと。

1992年、私は名古屋で勤務していましたが、学部長が名古屋大学の物理学教授を定年退職した人で、休憩時間の雑談などで加速器だのトリスタン計画だのという語が飛び交うのを小耳に挟んだ記憶があります。理事にはNTTから来た人がいて、図書館長だった私は半強制的に学内LANの研修を受けさせられ、おかげでITへの恐怖心を持たずに済みました。1967年、TV業界がコンピューターを導入した時も周辺にいました。新時代に乗り遅れても不思議ではなかったのに、偶々時代の変わる潮目に居合わせていた、というわけです。

特別支援教育の変わり目とも、そういう位置関係にあったことを最近知りました。その話は別に書きますが、同時代を生きるとは、こういうことなのですね。