漢字への礼儀

昨日今日のニュースで、法制審議会がまとめた、戸籍に氏名の読み仮名を記載する際の許容基準に関する中間試案が報道され、3つの案の中、最も制限の厳しい案でも、漢字の意味合いに関連性がある読み仮名は認めるとして、例えば「空」(スカイ)や「光宙」(ピカチュウ)などが挙がっていて、仰天しました。「七音」(ドレミ)は許容範囲内かどうか微妙、とある。

おいおい待ってくれ。「空」と「スカイ」は別の言語体系に属しているのに、日本の戸籍名において「意味合いに関連性がある」ということになるのか。それならヒンディー語モンゴル語でも(「空」を何と発音するのか知りませんが)片仮名で当てて読みとしていいのか。「ピカチュウ」に至っては、「光」=「ピカ」ではないのだから、もし「波」という名を「ザブリ」と読ませたい、と届け出られたら受理するのでしょうか。

漢字を使う以上、音は元来の発音、訓がその日本的意味、という根本から全く外れるのはおかしい、いや漢字(という伝統)に対して失礼ではないか。「すかい」や「どれみ」という名前をつけたければ仮名書きにして、通称に漢字を当てればいいのでは。

そもそも、さきの大戦で敗れた後、民主化には大衆に分かりやすい言語表記が必要だというので(占領軍からの圧力もあって)始まった国語改革の一環に、制限漢字というものがありました。当用漢字(行政・教育・出版・報道が使用する漢字)の字数、字体、音訓までが制限され、民主化か愚民化かといった激しい議論が繰り返されてきたのです。その間、人名の読みは自由だった(戸籍に登録されない)ので、近年は驚くような読みを当てる例が増えました。しかし、漢字を使う以上は、その本意を無視するような読みを氾濫させるのは、回避すべきでしょう。