秀吉イメージ

井上泰至さんから、本ブログの「理文融合型資料論」を読んだ、とメールが来ました。「秀吉イメージの現在」(『戦国時代劇メディアの見方・つくり方ー戦国イメージと時代考証』 勉誠出版)という短文のPDFと、代々木公園の写真が添付されていました。

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代々木公園の紅葉

欅でしょうか、東京の紅葉もまんざらではないようです。井上さんは最近、正岡子規を始め俳句の世界にもはまり、代々木公園を吟行したりするらしい。戦国武将は連歌を嗜むのが常でもありました。

【戦国以降の軍記は、故濱田啓介日野龍夫両先生が「大庫」と表現されていましたが、量を恐れない若い研究者を誘うことが、20年前、両先生に近世軍記をやるよう背中を押された自分の使命だと思っております(私は京都の出で、大学は東京の四谷ですが、高校までは塾で大谷雅夫・木田章義両先生の授業を受けました)。また梶原正昭先生もそう考えておられたのだろうと思います(院生時代、学部の授業に潜り込んで、講師としていらっしゃっていた先生の名調子をお聞きしました。「足摺」で女子学生を泣かせる授業は、未だ鮮烈な印象があります)。井上泰至

添付の短文は、戦後日本では戦争絶対悪・平和恒久的善、という2項対立が先験的に普及しているが、過去の事例を現代の倫理的価値判断だけで裁断するのは認識の欠落であり、歪みにつながるとして、時代の環境を再現し、その中で事実を捉えた上で批評することが必要、と主張しており、つよく共鳴しました。吉川英治司馬遼太郎など、歴史小説や在野史学の問題点にも触れ、研究者以外にも問題を提起しています。

秀吉の朝鮮侵略については近世軍記、それを踏まえた近代の歴史小説の影響が根強く、長らく唯一の総合的日本文学史だった至文堂『日本文学史』年表には、昭和40年代まで朝鮮「征伐」の語が残っていました。

メールの最後には、「コロナがいったん収まってはおりますが、油断すべからざることという近世武士道書の決まり文句を反芻して、ご自愛ください」とありました。