享楽と正義

政府のコロナ感染拡大防止策の底に危険な匂いがするのは、享楽と正義を対置する枠組みが見て取れるからーそう感じるのは私だけでしょうか。当初は「接待を伴う飲食」、中でもホストクラブが槍玉に上がりました。今は酒類を出す飲食店が集中的に営業縮小を求められています。

酔うと唾液が飛びやすい、という理由は解りますが、業務用酒類販売業者にも営業の制限を求め、さらに金融機関を通じて云々、と言われると、ちょっと待てよ、と思います。担当大臣は、資金調達などで圧力をかけるようにと言ったわけではない、と慌てて弁明していますが、金融機関が商売をしている事業者に影響力を及ぼすとすれば、それ以外はあり得ないでしょう。明らかに脅しです。

さきの大戦に深入りしていく過程でも、パーマ禁止、スカート禁止・・・無数の「贅沢」敵視は、法的な根拠に拠るのではなく、自警意識を醸成、エスカレートさせ、やがて言論も思想も踏み潰して行ったのでした。そもそも何が不急不要かは個々人によって異なるわけで、感染防止のために何を断念するかは効果との兼ね合いです。飲酒を禁じ、ワクチン接種を開始した(しかし肝心のワクチン配布はうまく行っていない)から、「安心安全」確保対策は十分やった(効果が挙がらないのは非協力的な者のせい)、さあ一致団結、国際的大祝祭へ一直線、というのは納得が難しい。

行きつけの肉屋では、孫の高校生(芝浦商の3年生です)が店に出ていたので、休みかと訊いたら、夜間にリモート授業だという。オンラインはすいすいか?と訊くと、いやあ、教室ならただ座っていればいいけど・・・との答え。脇から母親が、休み時間に友達と話せないのが辛いらしいですよ、と口添えしました。