古典の未来学・その2

荒木浩編『古典の未来学ーProjecting Classicism』(文学通信 2020)の大概は、すでに昨年12月に本ブログで紹介しましたが、何しろ全872頁の、内容も多岐に亘る書ですので、書き漏らした点について少し補足したいと思います。本書は、国際日本文化研究センターで「投企する古典性ー視覚/大衆/現代」と題して、2016年度から19年度まで行われた共同研究の報告集です(以下、各論の副題は略)。

あらまし読み終わって、なるほどいま現在の、野心ある日本古典文学研究者のイメージする、未来の「古典学」という枠組にはこういうテーマや方法が入っているのか、と思いました。この数年間に話題になった運動(研究や古典教育に関する)がいろいろ取り上げられていて、そういう意味でも研究展望の役割を果たしています。Ⅰ-5の河野貴美子&W・デーネーケ「「日本文学史」の今後100年」がその典型でしょう。

編者荒木さんの序論と、Ⅰー2ー7「身を投げる/子を投げる」は面白く読めました。荒木さんの文章はむやみに難解だとずっと思っていましたが、この2篇で先入観を捨てることにしました。

前回取り上げた『太平記』をめぐるシンポジウムのほかに私が興味を持ったのは、Ⅰー4「古典を観る/古典を描く」に並んだ、絵画資料の論考です(Ⅰー1「古典を見せる」も関連)。山本陽子「筍と土蜘蛛」、楊暁捷「頼光の杖」、斉藤真麻理「故事を遊ぶ」など、絵画資料はもっと自由に扱っていい、否、自由な視点からこそ意味のある結果が生まれる、と勇気づけられましたし、深谷大「語り物文芸の視覚化」からは、時代ごとに出現する女性芸能の、さまざまな問題を考えさせられました。

Ⅰー3「古典を問う/古典を学ぶ」に関しては別途取り上げることにします。