フード・ロス

大食や激辛を競うTV番組は、視ていて落ち着きません。だんだん腹が立ってきます。もう日本では、飢えとか空腹という体験は、遠くなったというのでしょうか。戦時中はもとより戦後しばらくは、日本人も飢えに苦しんだのです。先年、父は「あの頃は、いちどお腹をいっぱいにしてみたいと思ったなあ、いつも足りないので、いくら食べても満足できない気がした」と回顧していました。口に出来るものがあればすぐ食べられるように、みんな胸ポケットにマイ箸を差していた、という話もありました。

激辛唐辛子で丼を一杯にして、その中へスープを注ぐような麺は、果たして人間の食物でしょうか。活力を保つ物、美味しいと思える物を食べるのが、人間の営みとしての食事でしょう。それにあの唐辛子だって、畑で育て、手で摘んだ労働の賜物です。美味しく、感謝して食べられる権利がある。私らが育った倫理感で言えば、罰が当たりそう。

中国で、食べ残しをなくすよう国家主席の指示が出たというニュースがありましたが、彼国では古来、余るほどの料理でもてなすのが礼儀、余りは下僕たちの分、という習慣があったのです。半世紀前、シンガポールの中華料理店で、子豚の丸焼きを出され、客はよく焼けた皮だけを食べるのが礼儀、肉は下僕たちのもの、と教えられました。しかし共産国家となった中国では身分差はないはずなので、余分を取り置く必要はないわけです。

子供の頃、我が家では飢えは経験しませんでしたが、出された料理に好き嫌いを言うことは決して許されませんでした。学校給食で、大きすぎるコッペパンを残して持ち帰ることは許されましたが、美味しくないから食べない、というのはあり得ないことでした。脱脂粉乳の不味さは、超のつくものでしたが。

愚劣な番組制作、そろそろやめようじゃないか。