白い蒲公英

中西達治さんから、白と黄色の蒲公英が咲き乱れる写真の葉書が来ました。蕪村の「北寿老仙をいたむ」「春風馬堤曲」を引いて、シロバナタンポポは子供の頃からあったが、繁殖力の強い外来種の黄花に逐われがちだった、今年になってようやく、在来種のカンサイタンポポと並べて写真が撮れるまでになった、と書いてあります。

蕪村の「北寿老仙をいたむ」(「晋我追悼曲」)を初めて読んだのは、大学受験の頃だったでしょうかー君を思ふて岡のべに行きつ遊ぶ 岡のべ何ぞかく悲しき。蒲公英の黄に薺の白う咲きたる 見る人ぞなき・・・近世の作とは思えず、このまま近代詩、室尾犀星作だと言われてもおかしくないと思いました。今でも好きな作品です。後に大学院で、三好行雄先生が講じた近体詩の特講は、この作品から始まりました。

「春風馬堤曲」の方は、藪入りの道中という設定に漢語がなじみませんでしたが、印象は強く残りました。学部時代、近世文学の堤精二先生が、大学院の演習で1人1行2時間の発表をさせられたという思い出話をしたのを覚えています。半世紀前の大学構内には、白花蒲公英も咲いていました。同級生に教えたら、歓声を上げて摘み取り、バッグのポケットに挿したので、深く後悔しました。蒲公英は直射日光の下でしか開かず、すぐ萎れてしまうからです。同時に、天真爛漫の同級生を羨ましくも思いました。

40年前、通勤した南町田は、未だ人家もなく、一面の草原に咲く蒲公英を見ながら、キンダーブックのようだ、と思いつつ通いました。幼時に見たキンダーブックの絵本では、花の咲く草原は、緑の地に黄色い丸が点々と描かれることで表現されていたからです。近年、東京では白い蒲公英を見る機会は殆どありませんでしたが、せんだって青山霊園で野生しているのを見かけ、懐かしく思いました。