無いもの自慢

フリーランスになって研究を続行している定年退職者同志に共通の話題は、健康問題のほかに、必要な資料をどこで見るか、です。日本史の錦織さん(現在は京都在住)と、鳥取大学の同僚だった時代(30年前)の苦労話をメールでやりとりしました。鳥取は今では県立図書館が充実しましたが、当時は半径200km以内には何もない(京都まで行くしかない)という状況でした。

鳥取へ赴任する前、前任者の金井清光氏が学会発表で、「このことは古事類苑に載っているが見なかったか」と追及され、澄まして「鳥取には古事類苑はありません」と答えたので、持参すべきかどうか迷ったのですが、行ってみたらさすがに図書館にありました。後年、宇都宮に赴任したら、大日本仏教全書は栃木県内には1組しかない(国立大学にも県立図書館にもない)と院生が言うので、仰天しました。

[京都では自粛は少し緩められ、市立図書館は限定的ながら利用できるようになりました。各大学は京都産業大クラスターに懲りているようで、閉鎖のままです。

あの頃、大日本仏教全書は、鳥取には皆無でした。授業で使う史料がない時には、待ったなしなので途方に暮れたことを思い出します。ほかにも無いものだらけで、「孫引きというのは、研究者としては、絶対にしてはならないことなのだが」と断りながら、孫引きで講義をしたことも何度かあります。史料編纂所に内地留学したとき、一緒に来ていたのが宮崎大学の人で、うち(の大学)にはこんなものもない、という、無いもの自慢をしあったことがあります。あそこも前身が師範学校と農林学校なので、同じような状況でした。遠い昔のことですが、どこに職を得るかは、まったく運次第で、それが研究にも大きく響くところですね(錦織勤)]。

国立大学の付属図書館同士の貸借は可能でしたが、取り寄せた本は図書館長が金庫に保管して閲覧させました。今はあの時代よりも多少、便利になったと言えるでしょうか。