記述式

大学入試共通試験の新制度実施が迫ってきているのに、問題が続出しています。受験生はさぞはらはらしていることでしょう。英語の「聞く・話す」試験は、今まで試験会場校の負担がたいへんでしたが、民間組織に丸投げ、というのもどうかと思います。

国語や数学に記述式を採り入れる話が出た時には、よほど自信があって提案しているのだろうと思って眺めていたのですが、学生を採点要員に使うという案があるとの報道には仰天しました。もし真実なら、提案者は亡国の徒だと言わざるを得ません。そもそも学生は、個人的にどんなに堪能であろうとも、能力は未だ単位取得中、まして教育指導の資格は認定されていません。受験生からすれば、一生の岐路になるかもしれない受験をそんな条件で決められたら、納得できないでしょう。それに採点の技術は教育指導経験に伴うものであり、添削とも違って、語学や文章表現の能力とはまた別物です。

かつて国立大学の二次試験で、小論文の採点に携わった時、複数の教員が短時間で採点しても同一の基準で判断できているか、少なくともそう説明できるか、という問題意識を持ったことがありました。教育学部だったので、評価の理論の専門家がいて、採点基準のマニュアルを作って貰いました。結果はー却って時間がかかり、そして、つまらない、将来的に面白くなさそうな答案が高得点となり、これは伸びるかもしれない、と思うような答案は落ちてしまうことが分かりました。文章を読み慣れ、書き慣れ、そして指導経験のある人間が一定の速度を以て読んだ方が、鋭い評価ができるものなのです。

つくづく、いま受験生でなくてよかった、と思います。入試は、大学教育を受けて伸びるかどうかの適性を見るもの。あらゆる能力を短時間、一斉の試験で結論づけようとするのが間違いなのです。