ハンパク

1969年夏、大阪城公園では、ハンパク(反戦のための万国博)が開催されていました。翌年開かれる予定の大阪万国博は、ちょうど70年安保(日米安保条約の更新)と重なり、その問題点から国民の眼を逸らす目的がある、とされ、なら反戦の意志を示す民衆手作りの博覧会をやろうじゃないか、という趣旨だったと思います。小田実、山田宗睦、鶴見俊輔らが参加し、未だ元気だった全共闘も一翼を担っていました。

当時、私は修士課程2年目、大学は封鎖されて授業もなく、仕方がないので全国の長門本平家物語の悉皆調査を始めていました。夜行列車で地方の図書館や大学へ行き、書誌学の知識は殆どないのに、とにかく長門本の写本を見て、寸法を測って、本文の状況を見る、という作業です。撮影や複写は誰にでも出来ることでは無かったので、国書刊行会翻刻本やノートをぎっしり詰めたボストンバッグを提げて、全国を歩きました。

勿論、観光の余裕はありません。大阪へは早朝に着き、図書館が開くまでの時間を利用してハンパクを見に行きました。朝早くだったので、大抵のテントは未だ起き出していない感じで、何を見たかも殆ど記憶に残っていません。帰路、暑くなってきた日差しの下、重そうな鞄を引きずるように歩いていた私に、若者が1人、声をかけ、鞄を持ってくれました。道々、あれこれ話をしている内に、ハンパク警戒のために派遣された機動隊員の勤務明けだと分かりました。私が反戦主義者らしいと知ると、彼がずいと身を引くのが分かりましたが、それでも駅までは鞄を持ってくれ、互いに挨拶をして別れました。梅田駅でホームに置いた鞄が小さく見え、こんな物も自分で持てなかったのか、と情けなく思ったことを覚えています。

2020年東京五輪、2025年大阪万博、これから老いの坂を下りてゆく数年間、にぎにぎしい日々が続くのだなあ、と、ふと溜息が出ます。