回想的長門本平家物語研究史(10)

村上光徳さんと校本長門本を出そうと決め、底本と参照本文とを選定するため、私が見てきた善本を2人で再訪しました。善本は長門、毛利などの藩が関わって公的に写されたと思われ、装幀にも共通性があります。村上さんが根気よく伝来を尋ねて歩いた成果は、ついに単著としてまとめられることはありませんでしたが、「駒沢短大国文」6、「軍記と語り物」13,『長門本平家物語の総合研究』3,『海王宮』などに載っています。

こうして選定した本文を、2人で手分けして、原稿用紙に並記していくことにしました(どの本を選定したかはもう忘れてしまいました)。じつはそれ以前、私は源平盛衰記の校本と索引を作る所存で、初めて獲った科研費で、5本対照用の特殊な原稿用紙を大量に印刷しておいたのですが、索引用と見込んだ近衛本の本文(平仮名書きは多いが訓は不正確だった)が使えそうにないと分かって諦め、校本長門本のために転用しました。

学界では長門本といえば管理者考か、読み本系諸本と精しく比較対照していく論が殆どでした。高橋貞一さんは、長門本は四部合戦状本と関係がある、という論を出されました。追跡を始めてすぐ私は、読み本系諸本は相互に「関係」があり、縦に系統化するのはむなしいと思ってやめました。殊に四部合戦状本や源平闘諍録のような、独特の表記法を採る本は、本文の継承関係だけで考えるのでなく、用字や語法を研究する必要がある。

しかし校本長門本の作業が進まぬうちに、ある晩遅く、麻原美子さんから電話がかかってきました。いきなり長門本ではどの本がいいの、と訊かれ、就寝前で酒の入っていた私はいろいろ喋り、そのまま忘れたのですが、やがて麻原さんのチームが校本長門本を出すことになったのです。

私たちの校本原稿は序の口のまま、今もどこかに眠っていることでしょう。残った校合用紙は今、書き入れの多い本文をメモするのに使っています。