ゆとり

ゆとり教育の検証が取り沙汰されています。1980年代、詰め込み教育とか暗記主義、知識偏重と批判された従来の教育を大幅に変えようという方向で、学習指導要領の定める基準線が下げられ、週休2日制が導入され、一般には、学ぶ内容が少なく、薄くなったのだという眼で見られました。「ゆとり世代」という語が生まれ、そう呼ばれる世代は、何となく、学力や学習意欲の低い者たちと見られてきたという意識があるようです。

当時、小中の学校現場は、総合学習という科目にとまどっていました。今となってみれば、それなりに実績があったのではないでしょうか。この頃流行っている、アクティブ・ラ-ニングの基盤にもなった、と。また部活や稽古事が盛んになったのも、ゆとり教育以来かもしれません。但し、部活を指導する教師の負担が重くなり、家庭の経済力によって稽古事に行けるかどうかの差が出たことに、対応できていないのは残念です。

しかし、最もゆゆしきことは、家庭学習の習慣が殆ど絶滅してしまったことでしょう。2000年代の後半から大学生の質が暴落した、とは、後になって振り返って痛感されたことです。語学でさえも予習復習をして来ない。辞書を持ち歩く習慣もなくなった。それでどうやって、大学の文系の授業が成り立つでしょうか。勿論、そうでない大学もあったでしょうが、おおかたの大学教師には思い当たるふしがあるはずです。

つまり、ゆとり教育に移行するに当たって、家庭事情や一般社会の動向にまで考えが及んでいなかったことは、痛恨の一事だったと思います。ライフサイクルや職業などの価値観の変化も視野に入れて設計すべきだったのではないでしょうか。

なお私は、詰め込みや暗記によって基礎知識の最低水準が保証されることも、ある程度初等教育の効用として重要だと思っています。