春を食べる

今年の春は駆け足です。近所のスーパーに、すこし大きくなりすぎた蕗の薹が出ていました。揚げ物はしないのですが、何かと合わせて炒めたらいいかもしれない、と買った後で、それは酒肴だと気がつきました。どうも未だ節酒の目になりきれず、つい肴向きの食材を選んでしまうのです。やむなく1個ずつ縦に千切りにして、毎朝のスープに浮かせてみました。ポタージュには向きません。切るそばからアクで変色していくので、湯が沸いてから用意します。玉葱のコンソメに入れてさっと加熱し、黒胡椒を振りました。早春の喜びを大人味で表現した、香りと苦味が楽しめるスープができました。

街路では、未だロゼット状態の蒲公英が一斉に咲き出しました。「たんぽぽのお酒」という小説(果実酒のように、花をリキュールに漬け込むらしい)もありますが、今頃の嫩葉は生で食べられます。摘み集めてよく洗ったら、そのままちぎってサラダに。

菫は食用になる(花の砂糖漬はスイーツの飾りでよく見かけますが、葉の方です)と聞いて、鉢に咲かせている日本菫の葉を1枚摘んで食べてみました。野生らしい青臭さがありますが、茎は菠薐草のように甘い。これもサラダでいけそうです。有名な赤人の歌「春の野に菫摘みにと来し吾ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」は、何のために菫を摘むのか。ロマンチック気分で花を摘むのではなく、葉も花も食用にしたのでは、と私は考えています。「春の野」がこの歌の主題ー菫を採りに来た(だからすぐ帰るはずの)私なのに、冬が終わって、野は輝きに満ちあふれている、その温もり、草の香り(花々も草に混じって咲いている)、立ち去りがたくて、つい一晩過ごしてしまったよ、と。

有名シェフの新作サラダがグラビアに出ていて、繁縷(はこべ)が数本、飾りのように乗っていました。えっ、カナリアの餌じゃないの、と思わず目を疑いましたが、やっぱり繁縷です。たしかに食べられるには違いありませんが・・・どこかの農家で栽培しているのでしょうか。