『平家物語』において、木曽義仲の活躍が最初に描写される合戦は横田河原合戦です。『平家物語』には、諸本間で大きな異同があったり、史実とは異なる日時に設定されるエピソードがありますが、横田河原合戦もそのうちの一つです。
【横田城址】
平家方の越後の城氏は、蜂起した源氏勢を討つ為に信濃へ攻め入ります。史実は治承5年(1181年)6月であり『源平盛衰記』はそれに概ね従っていますが、覚一本『平家物語』は寿永元年(1182)9月としています(『吾妻鏡』は寿永元年10月)。
【井上氏館跡】
無勢の義仲軍を大勝利に導いたのは井上光盛の智略でした。赤旗を靡かせて平家軍に近付き、援軍と思わせたところで白旗に持ち替えたため、平家軍は狼狽して体勢を立て直すことが出来なかったのです。
【富部三郎家俊の墓(常泉寺)】
読み本系『平家物語』では平家方の富部家俊主従が活躍します。従者の杵淵重光が駆けつけた時には、家俊は西(佐井)広助に討たれた後でした。重光は主の仇を討った後、刀をくわえ馬から飛び降りて自害しています(今井四郎兼平と同じ死に方です)。
常泉寺は富部氏の菩提寺で、境内には家俊の墓があります。
【勝鬨神社】
合戦に勝利した義仲は、この社の前で勝ち鬨をあげたと伝わっています。