源平盛衰記の「可能性」

井上翠さんの「『源平盛衰記』の敦盛最期譚の可能性」(「日文協日本文学」9月号)を読みました。軍記物語の重要なテーマとして、父と子の関係がありますが、一ノ谷合戦での敦盛最期譚は、熊谷直実平敦盛を討とうとして、我が子直家と重ね合わせて武士と父親の感情相克に苦悩する話になっています。井上さんは、盛衰記ではこの記事の当初から直実がいわば疑似「父親」の眼で敦盛を見ており、対する敦盛はあくまで武者として、子であることを拒否するように描かれていると解読しました。物語が自らを相対化し、調和的な読みを裏切る仕掛けを持っているのが盛衰記だというのです。

指摘の一々は肯けるものだと思いました。ただ、盛衰記の場合、それがこの作品全体のことなのか、一部の増補書き換えによって生じた効果なのかを明確にしておくことが、今後の研究の展開に必要です。論文のタイトルも、これなら「『源平盛衰記』敦盛最期譚の読みの可能性」と言った方が正確でしょう。

源平盛衰記など読み本系諸本の一部には、ここに直実が敦盛の父とやりとりした漢文体の手紙が載せられています。史実とは考えにくい話ですが、私は往来物の流行と関係があるのではないかと考えています。そのことと井上さんの指摘した傾向とは、関係が無いでしょうか?

近年の軍記物語関係の論文に共通する傾向ですが、先行研究を列挙することに紙幅を割き過ぎると思います。まず自分の論拠をしっかり固めてから、それに関連もしくは抵触する論文を手短に(注形式で、要約)挙げて補強する方がスマートです。他人の論文は、いくら同じ意見でも自前の証明の代わりにはなりません。投稿論文の枚数は限りがあるでしょうが、この論文も、例えば盛衰記の他の部分でも同じような例があるのかどうかなど、視野を広げて欲しかった気がします。続く論文の登場を、楽しみに待つことになるでしょう。

なお慶長古活字版はこの辺り、「旨」の意に「肯」という字を宛てていますが、古活字版ではしばしば似たような字形の活字を流用したようで、「矢」と「失」、「掘」と「堀」など多くの活字が、誤読の恐れがない範囲で、平然と流用されています。従って、ここも「旨」と読まれることが期待されている、と見るべきでしょう。