熊楠の妖怪研究

伊藤慎吾・飯倉義之・広川英一郎『怪人熊楠、妖怪を語る』(三弥井書店)という本が出ました。あとがきによれば、2016年7月から9月、紀伊田辺南方熊楠顕彰館で行われた特別企画展「熊楠と熊野の妖怪」の準備の中から生まれた本だそうです。博物学の巨人熊楠は、妖怪や怪奇現象にも関心を持ち、厖大な情報を集めてはいるが体系的な論として発表しているわけではなく、妖怪学や民俗学ともまた異なる視点を持っていたらしい。蔵書への書き込みなども含めれば、彼の仕事の大半は未整理と言ってもいい状態にあるようです。

本書は大判128頁、熊楠が聞いた妖怪出没地めぐり(伊藤)、熊楠と紀南の妖怪(広川)、熊楠の妖怪研究(伊藤)、南方熊楠の「科学する眼」と怪異・妖怪(飯倉)、熊楠妖怪名彙(伊藤)などが盛り込まれています。一部重複が多いのは残念ですが、挿入写真の美しさはこの地の魅力をよく伝え、顕彰館の図録、紀南旅行の案内書としても相応しい本になっています。

南方熊楠の偉大さは重々知っていたのですが、その激情やあまりの天衣無縫さゆえに敬遠してきました(師文覚を敬遠した明恵のように)。この8月に紀伊田辺へ行った時も、顕彰館には寄りませんでした。しかし、時代(明治・大正・昭和)と、那智熊野に続くその郷土の中で彼の営為を総体的に捉える試みは、今後、研究史や単なる偉人伝以上のものを我々にもたらすでしょう。

私にとって熊楠は、昭和天皇の、あのまさしく帝王ぶりの歌―「雨にけぶる神島をみて紀伊国の生みし南方熊楠を思ふ」で記憶されています。時代と風土と、そして人と人との絶妙の「縁」において。

樹木たちの生活

ペーター・ヴォールレーベン『樹木たちの知られざる生活―森林管理官が聴いた森の声―』(長谷川圭訳 早川書房 2018)を読みました。2015年にドイツでベストセラーとなった本を翻訳、文庫化したものです。著者は1964年生まれ。大学で林業を学び、20年以上営林署に勤務するうち、行政の森林管理に疑問を持ち、フリーランスの営林者(ドイツにはそういう立場があるんですね)になり、今では地方自治体が彼に森林管理と保護を委託するようになったそうです。

ドイツでは森が人々の日常生活の中で深く愛されていることは有名です。山林の多い日本とは共通点もあり、相違点も多い。ブナやトウヒなどの樹木が主役のように出て来ますが、日本の植生とはやや違うので、ぴんと来ない部分もあります。

しかし本書は、私たち都会人の疲れを癒やしてくれるだけでなく、まなざしを変え、発想の転換を手助けしてくれます。徹底して樹木の目線で語られているからです。樹木には仲間との連携関係があり、コミュニケーションができ、次世代との交信もある、などと言われたら、これは比喩かおとぎ話かだろうと思ってしまいますが、じつは相当部分、真実なのです。永年、植木を育てている間に不審に思っていたことが解決したり、今後の参考になったりしたことも少なくありません。単なる擬人化でなく、著者は樹木を、人間とは異なる進化を遂げた生物として見ようとしているのです。

偶々私は、数多くの論文を下読みして編集する作業と並行して本書を読んだので、自分とは異なる目で状況を見、予兆を感じるという点で、大いに助けられました。単なる環境保護の書ではなく、滋味溢れるエッセーとして読むことをお奨めします。

ポイント制

扇屋へおはぎを買いに出かけました。野上弥生子の愛した老舗です。店は年配客で混んでいました。もう初冬のゆず餅が出ています。仏壇に上げるので、父の好みの粒餡と黒胡麻のおはぎを1個ずつ買いました。まもなく消費税が上がります。扇屋にもちょっと腰掛けるスペースがありましたが、さすがにここで試食する人はいないでしょう。しかし、いわゆるイートインと持ち帰りの区別は、限りなく曖昧です。

老舗の酒屋の娘だった知人から、こんなメールが来ました―「郷里の食品関係の自営業の何人かが、この機に商売をやめると言っていました。『8%か10%かの扱いがややこしいのと、こんな小さな店で今更レジスターを変えられないし、店前のベンチで食べると10%、となると食べ歩きを増長するかもしれないし、などなど、考えるとイライラするし・・・マ、もう歳だからやめるよ』ということでした。新消費税制度には、小売商や自営業は考慮に入っていないなぁ、と感じていましたが、その言葉に暗澹たる気持になりました」。

同感です。ポイント制による減税も、何だか江戸の敵を長崎で討つみたいな違和感があって、私は利用しない所存。一律10%値上げと思って、倹約に励むしかない。今後しばらく、レジでもめる老人を見かけるのではないかと取り越し苦労をしています。納税は憲法に定められた国民の義務の一つゆえ、いやとは言いませんが、公平であることと分かりやすい制度であることが、絶対の条件ではないでしょうか。

入試と税徴収とをずたずたにする制度改革は、亡国の仕業ではないか。そんな憂鬱を抱えてとぼとぼ帰ったら、近くの天神様の秋祭の先触れ太鼓に出会いました。6歳くらいの女の子が屋台車の上で、祭半纏を着て上手に叩いている。この平和をいつまでも。

鵺の正体

母校の中世文学研究会に出かけました。今年度は院生の入学が1名だけだったそうで、今後は年2回の開催とのことでしたが、今日は20人程度の参加者がありました。発表は2本。1本目は岡本光加里さんの「『千五百番歌合』における先行作品摂取と同時代歌人間の関係」ですが、10月の中世文学会の下発表なので、本番に期待します。

2本目は沖本幸子さんの「ヌエ考―怪鳥の声をめぐって―」。鵺は世阿弥作の能でも有名ですが、平家物語では源頼政(射撃の名人)の武勇談として語られています。同様の話(退治される化物が少し違う)が長門本源平盛衰記には、清盛の武勇談として語られており、なぜ併存するのかは未解明でした。そもそも正体が何なのか、よくわからない(つかみどころのない存在を、ヌエみたい、と現代でも言います)のですが、注釈書類が挙げているトラツグミ説(貝原益軒大和本草』など)のほかに、ムササビかモモンガではないかとする説があり、中世ではその方が相応しいのではないかという話でした。

面白かった。本人が実際に聞いた鳴き声や百科事典の音声を聞かせながら、元来中国では夜行性の鳥を「怪鳥」と言ったこと、万葉歌ではトラツグミの声がよく当てはまること、『殿暦』『吾妻鏡』には夜中に院御所や内裏、頼朝邸で鵺の声を聞き、読経や陰陽道の祀りをしていること、『看聞日記』の応永23年(1416)4月25日条には北野社に現れた怪鳥の記事があること、それらの記述の特徴はムササビに当てはまることなどを、分かりやすく述べました。殊に私が興味をそそられたのは、長門本源平盛衰記が清盛の怪鳥退治として語る説話がこれによく当てはまることで、頼政の鵺退治説話との先後などいろいろな方向に想像が広がります。

賑やかに呑んで街へ出たら、雨が降り始め、濡れて帰りましたが、楽しい一晩でした。

房総半島

西の方から羽田へ帰ってくる時、たまに飛行機は房総半島を旋回しながら降りていきます。九十九里浜の弧が目に入って来るまで、かなり盛り上がった山林地帯が続き、一体どこかな、と思ったりしたものでした。千葉県が広域な山と森であることを、首都通勤圏とのみ捉えていると、忘れがちです。

頼朝が旗揚げ直後の石橋山合戦で敗北し、東京湾を渡って房総半島へ逃げたのは、千葉氏の勢力をあてにしたからだと考えられがちですが、その幾分かは結果論かもしれません。伊豆箱根を追い出されてまず逃げ込む先は、海に囲まれた広大な山林を擁する房総地区(そしてそれを支配していた千葉氏の許)だったのかも。

人里離れた一軒家で暮らす人を突然訪問するTV番組が、高視聴率を誇っています。最近の放映を視ていると、殆どが山林のただ中です。日本は島国というけれど、つくづく国土の大半は山林なんだなあと実感します。一時期、社会史や民俗学で「山の民」という言葉が流行りましたが、海に面した文化だけでは日本は分からない、と反省しました。体力のない私には、70歳過ぎても山林の中で当たり前の日常生活を続けている人たちを見るのは一種の驚きでもあります。

今回の台風被害からの復興、殊に電力供給の回復が遅れたのは予想外でした。緑多い環境は羨ましいことですが、大都市とは別の住環境作りに、手ぬかりがあったのではないでしょうか。まずはインフラ回復を、そして都市と山林両方を抱えた地域計画の練り直しを、陰ながら見守っていたいと思います。

 

積木的議論のために(3)

学部時代(52年くらい前です)、近世文学の先生が授業時に、「無用の用」論をぶったことがありました。その当時から、大学教育に文学は必要なのかという論調はあったのです。先生は、田の畔がなければ田は作れない、という『老子』の一節を引いたのですが、高校の漢文で習った話がこんな風に使われるのか、と聞き過ごしただけでした。

ネットで調べると、無用の用に関する比喩や挿話はいろいろあるようで、『老子』『荘子』が何箇所も引かれています。しかし現代の文学教育無用論には、もはや無用の用などという高踏的な議論の入る余地はなさそうです。文学が「無用」だと認めた時点で、議論は終わってしまいそう。むしろ「有用」とは何か、有用な知識や技術を新しく生み出し、平等に安全に使いこなす基盤とは、そのために必要なものとは何か、という観点から入って行くのがいいのかもしれません。

30年以上前、名古屋で勤めていた時、裁縫学校から出発した女子大学が勤務校でしたが、そこではこういう話が伝えられていました―創業者から二代目の理事長に引き継がれた時、家政学部のほかに文学部を作る話が持ち上がり、反対意見が続出。二代目は名古屋大学の理系の教授でしたが、それに対し、「文学部があると大学に品格が出る」と言ったそうです。理系でも実学でもなく、文学を学ぶことが人づくりの上で何の役に立つかを、経営者の言葉として端的に言いおおせている、と思います。

日本を大国にしたければ、文学を始めとするリベラルアーツを大事にすべきではないですか。小さいながらも世界から尊敬され、一目置かれる国にしたければ、国民の教養度を上げ、視野を広げることが必要でしょう。戦闘機を買うよりも、あたら若者を紛争地の警備に送り出すよりも。

パン屋の開業

行きつけのパン屋が突然閉店し、あちこちでパンを買ってみては失望を繰り返していましたが、久しぶりに通ってみると、新規開店の予告が出ていました。その後開業延期の貼り紙が出て、何度も無駄足を踏みましたが、やっと開いたので入ってみました。

以前は3~4人で焼いたり並べたり、総菜や小さなタルトなども売っていましたが、今度の店は未だ品数も少なく、男性1人で、たまに若い女性が手伝っているらしい。いかにも習って作ってみました、という感じにクリームパンやあんパンが並んでいます。我が家は毎日の朝食用なので、飽きの来ない、甘くないパンでなければなりません。フランスパンとクロワッサンを買ってみました。うっかり500円玉と100円玉を間違えて出したら、店主がきっとなったので、ああ商売は初めてなんだな、と分かりました。定年後にパン作りを習って始めた店と見受けました。

結果は、まずくはないが・・・フランスパンを噛み切ろうとすると、丸顔の私が顔面変形するほど引っ張ってもちぎれません(漫画家だったら、絵でお見せできるのですが)。中は大きな孔だらけで、オリーブオイルを垂らすことができません。ねちねちしたパンは御免ですが、フランスパンはやはり、皮はぱりっと、中はふんわりさっくり、でなくては。

毎朝のパンを確保するために、やんわり批評して、あのパン屋を育てるべきかどうかー昨日からずっと悩んでいます。定年後の親父が始めた店は、この辺に何軒もありましたが、けっきょく長続きしませんでした。小さなカウンター席の呑み屋は、いかにもその日の余り物を客に勧める。サロンの名を掲げた美容院は、顔や襟足にいきなりガムテープを押しつけて、髪の切屑を取り除いた(つまり客の肌はガムテープで剥ぎ取られる)・・・ま、しばらく様子を見るか。