沈丁花

郵便局へ用足しに行ったら、児童公園の植え込みの沈丁花の蕾が目につきました。庭木にもはやりすたりがあるようで、一時期はどこの垣根にもあり、一期校の入試の頃(3月上旬です)咲き始める花でしたが、今は珍しくなりました。

高校2年の時、部活でいわゆる追いコン(追い出しコンパ)をやることになり、おにぎりパーティを企画しました。勿論、自分たちで、家庭科教室で握るのです。それだけではつまらないからと、ご近所へ、芽の出始めた柳の枝と咲き始めた沈丁花の枝を貰いに行き、笊に飾りつけておにぎりを盛りました。いま思えば、突然訪ねてきた見ず知らずの高校生に、快く庭木を剪って下さった方は偉い。

3年の時にはクラス会で、¥50以内のプレゼントを交換する企画がありました。当時流行ったカリプソに合わせてプレゼントを手から手へ渡して行き、曲が止まった時に手にある品を貰うのです。私は何を貰ったか忘れてしまいましたが、一番羨ましがられたのは、男子が昼休みによく買い食いしていた(学校からは禁止されていました)肉屋のコロッケ10個(店がおまけしてくれて11個包んであった)でした。ほかほか湯気が立って、いい匂いがしていたのを今でも覚えています。

あの頃の食物への愛着心は、今となってはほほえましく、ちょっぴり恥ずかしくもあります。

ワッフル

同い年の友人と会って、この春計画している小さな集まりの打ち合わせをしました。街は冷蔵庫の中のようです。昨夏開店した、ワッフルが売りのカフェに入りました。友人はこれから新年会に行くというので、1皿を分け合うことにしたのですが、けっこう量があって食べるのに忙しく、9ヶ月ぶりの雑談や、有望な若手研究者の噂あれこれなども忙しくて、簡単な相談だけで後はまた連絡するから、ということになりました。

耳が遠くなったので学会に足が向かない、という話。補聴器を誂えに行ったら、未だ早すぎる、補聴器は雑音をも拾ってしまうのであまり早期からつけると嫌気が差すからよした方がいいと言われた、講演は引き受けるがシンポジウムの司会は断ることにしている、という話。目下シンポ準備中の私は、不安になりました。顔を見ながら聞くとよく聞こえるので、会議室では全体が見渡せる席に座ることにしている、と言ったら、自分が議長のときは、話が見えすぎて、ときには困ることもあるそうです。

軍記物語は歴史社会学派以来の「語り」黄金伝説を未だに引きずっているが、説話文学の方は早くからその幻想を捨て、書き言葉の文学という観点が定着したね、という話もしました。その他いろいろ―1時間があっという間でした。

お濠の氷

記録的な大寒波到来なのだそうで、我が家ではベランダのジュリアンの花が凍ります。花弁の厚い種類やビオラは平気なのですが、薄いひらひらした花をつける種類は、朝から萎れ、立ち直るのにほぼ一日かかります。今年は8株も植えてしまったので、室内へ入れることもできず、謝りながら見守っています。

ニュース画面に、日比谷公園の池が昼でも凍ったままなのが映りました。昭和20年代、両親に連れられて皇居前と上野動物園に行った記憶があります。昼間でしたがお濠は固く凍っていました。小石を投げると(今なら即皇宮警察に捕まります)、渦巻のように円を描いて滑っていきました。死んだ魚の眼のようだと思ったことを、覚えています(当時は煮魚は目玉も食べたので、見慣れていたのです)。その後入ったお汁粉屋でやっと暖まりました。

弟が生まれてから、上京した祖母も一緒に東京見物をした時は、お濠端は一面の蒲公英で黄金色に輝くようでした。その後十数年経って、国会図書館へ通うようになり、皇居前が松と芝生できっちり整えられていたのに吃驚しました。血のメーデーなどがあったので、広場でなく公苑に整備したのでしょう。通りには桜並木も作られて、ジョギングの名所になりました。

息が大気になるまでに

ポール・カラニシ『いま、希望を語ろう』(田中文訳 早川書房)を読みました。壮絶な本です。邦題はよくない。「When breath becomes air」が原題。帯にある「末期癌の若き医師が家族と見つけた生きる意味」などという美談めいた、いかにもミリオンセラーらしい内容を期待すると違います。

印度系アメリカ人の著者は、文学を専攻した後、人間の生と死を深く知るには脳医学が最も適していると考え、脳神経外科の研修医になり、結婚し、もうすぐ研修が終わるという時に末期癌が発見されます。一度は手術現場に復帰したものの再発し、子供を作り、37歳で亡くなりました。ここに述べられているのは、すべて「究極の」という冠詞をつけたくなるようなことがらばかりです。深い瞑想を湛えた哲学・文学・死生学、理想の医師・患者・夫・父、闘病、そして覚悟の死。

聡明な主治医、妻、同僚に囲まれ、本人も十分な医学的素養があり、医療環境も職場としての環境もこの上ない(日本の現状から見れば夢のような)条件が揃っていて、なお彼と彼の妻の成した選択には、粛然としたり驚いたりの連続でした。主治医が、決して生存率の話をせず、患者がいま何を目標とするかを訊いて治療法を決める態度に、共感を持ちました。しかし、一旦職場復帰して、脳外科の手術を行う場面には考え込んでしまいました(最後の手術の際に、指導医のミスを彼が救った話は、日本人なら書かないでしょう)。子供を作る選択にも考えさせられました。

神の存在を信じるなら、彼の生涯は、まさしく彼が望んだ使命を、最高の環境で、最も有能な男に神が与えたのだ、と理解することになるでしょうか。彼が有名な医師として老いていったら、この書は書かれなかったわけですから。

訳者は、妻の書いたエピローグから読むことを勧めていますが、私はお勧めしません。日本人の感覚には、オマージュに満ちたエピローグは言葉が多すぎる。彼女の想いは、言葉を尽くしても尽くせないものだったはずで、読者も、本書の欄外により多くのことを見出す結果になるでしょう。

この雪いかが見る

同い年の友人から、メールが2通来ました。書いてある用件はほぼ同じなので、さては呆け始めたかな、と読み直したら、2通目には「昨日の雪はいかがでしたか」という1文が入っていました。

そういうわけか、と返信を書くために『徒然草』正徹本を取り出して確認していたら、烏丸本とは1箇所異同があることに気づきました。烏丸本「一筆のたまはせぬほどの」、正徹本「一筆のせ給はぬほどの」、常縁本「一筆の給はぬほどの」。私たちは中高の古文の授業以来、流布本である烏丸本で習ってきたので、烏丸本の語呂のよい文体になじんでいるのですが、それは近世初期の出版のための校訂本文なのかもしれず、正徹本の本文が語法的に成り立つなら、善本として採るべきなのでしょう。

愛好されてきた古典は、暗誦しやすい本文が最もそれらしいという評価が堅く、例えば延慶本や源平盛衰記では本来の平家物語らしくない、感動できない、と決めつけられたりします。しかし、永年読者の眼にさらされ、心中の音読にふさわしい律調を持つようになった流布本の文体は、成立当初の姿を保っているかどうか分かりません。それとこれとは別途の問題でしょう。

メールをくれた友人は、このところ『徒然草』の注釈に追われていると言っていましたっけ。底本には正徹本を選んだのでしょうか。

高下駄の雪

雪の翌朝は(出勤の苦労がなければ)、何故か浮き浮きし、遠いことを思って懐旧的になります。子供の頃、湘南に母方の実家の別荘があって、その離れに間借りしていました。大雪の朝、母屋から従姉の1人が高下駄を履いて様子を見に来ました。小さな離れでしたが庭に笹藪があり、積もった雪がかき氷のようで美味しそうだと言ったら、縁側に腰掛けていた従姉は、履いていた高下駄の歯をひょいと裏返し、指で綺麗な雪を掬って舐めました。70年近く前のことなのに、あの光景は今でも目に浮かびます。

活発で美しい従姉でした。虫籠を忘れて蜻蛉捕りに行き、みそっかすの私はオニヤンマを両手の指に挟んで持たされましたが、噛みつかれて逃がし(オニヤンマに噛まれたことがありますか?泣きたいほど痛い)、こっぴどく叱られました。塗り絵を塗っても、ままごとで花びらを料理に仕立てても、センスが光っていて、憧れの人でした。詩人シェリーを専攻し、大学教員になりましたが、医大で教えた学生にストーカー同然で求婚され、高齢出産の輸血が原因で亡くなりました。瀕死の床で校正した訳書で賞を獲り、さあこれから、という時でした。

早世した人の思い出は、時間的に最後の場面とは限らず、思いがけない姿が目に焼きついているもののようです。

積もる雪

東京は予報より早く雪になりました。細かくてせっせと降り続ける、積もる雪です。

鳥取に赴任して初めて雪が降り出した午後、いつものように研究室で仕事を片付けていたら、向かいの部屋の助教授(菅原稔さんです)が扉を叩き、この雪は積もる雪だから早く帰った方がいい、と忠告してくれました。何気なく降り続けて積もる雪と、見かけは華やかだが積もらない雪とがあるのだそうで、言われるままバスに乗って帰宅する途中、中古車販売場に並んだ車のワイパーが全部立ててあって、まるで昆虫の触角の林のような、不思議な光景を見ました。積雪の重みでワイパーが折れるのを防ぐためらしい。

歌舞伎の効果音で雪を表現する太鼓は、誰がどういう工夫で見つけたのでしょうか。虚構なのに実感があります。雪の積もる日は街の音が吸われて消え、しかし霏々と、またはしんしんと、降る雪には音のない音があるからです。

北越雪譜』の冒頭は有名ですが、嬉しそうに街を歩く毛皮フードの女の子をTV画面で見ながら、若いんだなあ、と嘆息しました。40代だから鳥取で勤められたけれど、もう雪国で働く自信はありません。そういえば、昨日、美容院の帰りに、老木の白梅に数輪の花が咲き始めたのを見たけど、どうなるかしら。