息が大気になるまでに

ポール・カラニシ『いま、希望を語ろう』(田中文訳 早川書房)を読みました。壮絶な本です。邦題はよくない。「When breath becomes air」が原題。帯にある「末期癌の若き医師が家族と見つけた生きる意味」などという美談めいた、いかにもミリオンセラーらしい内容を期待すると違います。

印度系アメリカ人の著者は、文学を専攻した後、人間の生と死を深く知るには脳医学が最も適していると考え、脳神経外科の研修医になり、結婚し、もうすぐ研修が終わるという時に末期癌が発見されます。一度は手術現場に復帰したものの再発し、子供を作り、37歳で亡くなりました。ここに述べられているのは、すべて「究極の」という冠詞をつけたくなるようなことがらばかりです。深い瞑想を湛えた哲学・文学・死生学、理想の医師・患者・夫・父、闘病、そして覚悟の死。

聡明な主治医、妻、同僚に囲まれ、本人も十分な医学的素養があり、医療環境も職場としての環境もこの上ない(日本の現状から見れば夢のような)条件が揃っていて、なお彼と彼の妻の成した選択には、粛然としたり驚いたりの連続でした。主治医が、決して生存率の話をせず、患者がいま何を目標とするかを訊いて治療法を決める態度に、共感を持ちました。しかし、一旦職場復帰して、脳外科の手術を行う場面には考え込んでしまいました(最後の手術の際に、指導医のミスを彼が救った話は、日本人なら書かないでしょう)。子供を作る選択にも考えさせられました。

神の存在を信じるなら、彼の生涯は、まさしく彼が望んだ使命を、最高の環境で、最も有能な男に神が与えたのだ、と理解することになるでしょうか。彼が有名な医師として老いていったら、この書は書かれなかったわけですから。

訳者は、妻の書いたエピローグから読むことを勧めていますが、私はお勧めしません。日本人の感覚には、オマージュに満ちたエピローグは言葉が多すぎる。彼女の想いは、言葉を尽くしても尽くせないものだったはずで、読者も、本書の欄外により多くのことを見出す結果になるでしょう。