野中の一軒家

我が家の西側にマンション建設が進んでいるのですが、あまりに乱暴な音を立てる(8階建ての足場の上から鉄パイプを投げ落とすなど)ので堪らず、現場責任者を出せ、と掛け合いました。

未だ学生上がりのような若い監督で、しかもマスクをしたまま応対し、ほんとに責任者なのか怪しみながら、野中で一軒家を建ててるんじゃないんだから、と言いました。気を遣ってやってるんですがねと言うので、今朝方これこれだったろ、周りには病人もいれば赤ちゃんもいるんだよ、と畳みかけて帰りました。翌日から、音の立て方がまったく違う。昨日まで御神輿担ぎのような騒ぎだったトラック誘導も、地響きを立てて回っていたミキサー車も、気にならない程度に静かになり、なんだ、言えばできるんじゃないか、と拍子抜けするほどでした。

オトコだけの職場で、若いリーダーが、一致団結、盛り上がっていこう!のノリでまとめていたのでしょう。集団が一方向しか見なくなると、よくあることです。内部では美談の気分ですが、周りには迷惑だったり滑稽だったり。在勤時代にも経験があります。

大試験

俳句の季語に「大試験」というのがあります。卒業試験や入試などを指すらしい。春の季語ですが、現代では全国一斉のセンター試験が該当するでしょうか。南北に長い日本列島でこの季節に、秒単位で全国一斉の大試験というのにはそもそも無理がある、在宅端末で受験できるようにはならないものか、とぼやいたら、物理学の教員に、ハッカー対策ができない、と諭されたことがありました。

しかも年々、監督者にとって会場の統率が難しくなります。受験生が机上に出せる物が増え、受験生の注文が増え(隣席の人の体臭が気になるから席を変えて欲しい、という申し出があったこともありました)、まるで受験生が監督者を監督しているあんばいになったりします。監督する方は、受験生の気にならないよう、目に入らないように気を遣うのですが、しっかり監督していない、というクレームが来たりするのです。

監視されないのは信用されている証拠、とは考えられなくなっているのでしょう。何だか心が寒い。教職員の数が多い割に引き受ける受験者数が少ない会場校はいいのですが、そうでない場合は、2日間の緊張と立ちんぼ(最後に勤めた職場では、居眠りしないよう監督者には椅子が与えられませんでした)の挙句、翌日は平常業務なのですから、壮健な人でないと務まりません。

高校卒業資格の認定を年間いつでも受けられるようにし、あとはもう、各大学ごとの選抜方法に任せてもいいのでは。高望みをしなければ全入、しかも中退後でも再入学や通信教育制など、多様な復活戦が用意される時代になったのですから。尤もセンター試験は今やビッグビジネス、やめたら雇用問題が生じるのかも知れません。

新葉集の住吉歌群

君嶋亜紀さんの「『新葉集』の住吉歌群」(「国語と国文学」1月号)を読みました。住吉の松など、歌題としてはありふれたものだろうと読み始めたのですが、蒙を啓かれました。面白い。勅撰集にはもともと住吉関連歌群は多くないが、後嵯峨院期以降、大覚寺統の勅撰集には住吉歌群が形成され、住吉の沖に浮かぶ淡路島や八十島祭など国生みや即位儀礼に関係する,特異な政治性を感じさせる作品が含まれることを順を追って論じています。

殊に『太平記』巻30「住吉の松折るる事」とは対照的に、『新葉集』では、住吉行幸を寿ぐ歌が並べられていることの意味を指摘している箇所では、軍記物語と和歌文学の世界の違いがまざまざと浮かび上がり、膝を打つ思いでした。以前から、『太平記』と同時代の南朝歌集や、親房の『古今和歌集註』などを併せ論じたら有意義ではないかと考えていたので、研究者のジャンルを超えた共同研究の実現を、ぜひお奨めしたいと思います。

近年は、南朝歌集のすぐれた若手研究者が輩出しているようですので、機は熟していると思われます。やるなら、今です。

海を渡った日本絵巻

辻英子さんの『海を渡った日本絵巻の至宝』影印編・研究編(笠間書院)という本が出ました。辻さんの精力的なお仕事ぶりには頭が下がります。本書にはロシア、イギリス、アメリカ及び日本の貴重な絵巻と筆跡資料に関する研究と影印が載せられています。中でも圧巻は、「浅井了意筆『長恨歌』断簡の出現」と題する石川透さんの論文でしょう。予想が的中した石川さんの喜びは、さぞやと思われます。それにしても断簡紙背の落書きの朱が恨めしい。

影印・口絵では久しぶりに、おっとりした初期の奈良絵本や、近世初期の流麗な和歌懐紙で目の保養をしました。ロシア科学アカデミー所蔵絵画資料の調査・報告は今までなかったのではないでしょうか。ピョ-トル大帝記念人類学民族学博物館蔵のNO312-58・2-1本は、例えば「◯◯茶会記」のような仮題をつけておいた方が、今後の研究には便利だったのではないかと思いました。

お年玉

お年玉年賀葉書の3等賞の引き替えに行きました。今年は8枚当選でした。以前はたかが切手シートの当選でも印鑑を要求されましたが、最近は申請書も職員が書いて済ませてくれるようになりました。永らく定番だった郷土玩具のデザインはもう種切れなのか、室内飼いの犬の図柄です。小型犬の方は、まるで兎と狐の合いの子のように見えて、思わず何度も見直しました。

今まで最高位の当選経験はレターセットでした。それでもかつては、ほぼ1年分の切手をまかなえた時期もありましたが、近年は発行枚数の割に当選率が低い。売れ残って処分される分に1等が入っていたら勿体ないなあ、などと貧乏性は考えてしまいます。

仲は悪いが義理でやりとりしている相手から貰った葉書が当たっていたりすると、何となく申し訳ないような気になったりしますが・・・さてこれで、今年の正月は終わりました。

成立伝承

和田琢磨さんの「今川氏親の『太平記』観」(『資料学の現在』笠間書院)と北村昌幸さんの「今川了俊の語り」(「日本文芸研究」2015/3)を読みました。和田さんの単著『『太平記』生成と表現世界』(新典社 2015)の関連部分も、併せて読みました。和田さんは了俊は太平記全巻を精読していたわけではなさそうだとし、また太平記室町幕府の正史的な位置に置くことに、疑問を呈しています。

太平記の成立については今川了俊の『難太平記』が、成立に関して最も主要な資料とされていますが、今やその再検証が行われているのです。北村さんの論文は、いわゆる「直接体験の過去」の助動詞キと「間接的に知った過去」ケリの使い分けを点検し、前者は了俊がきっぱりと断言できる、もしくは断言したい過去、後者はそうでない場合として分別しています。

太平記ではこういう果敢な見直しが始まっているのに、平家物語では成立伝承や文末表現について、未だに半世紀以上前の枠組みのままなのは悲しむべきことです。当道座の出来る頃、平家物語の語りはどんなものだったのか、過去の助動詞を始めとして文末表現が諸本によってたやすく入れ替わる現象をどう考えるか、成立伝承として最も信用されている徒然草の説明は果たして事実なのか、「治承物語」は「平家物語」なのか―等々、基本的な枠組みそのものを疑ってみることが、そろそろ必要なのではないでしょうか。

一周年

このブログを始めてから1年が経ちました。ほどほどの規模で続けてこられたと安堵しています。歳時記のようだと言う友人や、料理の話が役に立つと言ってくれる知人もあり、励まされています。研究情報に御不満の方がありましたらお許し下さい。身の丈に合わせて無理のない程度に、もうしばらく続けてみようと思います。

怪しげな広告の大半は、画像の右上✕ボタンで消すことが出来ます。歳時記ふうの記事は、4季節が巡って種切れになるかもしれませんが、日々の属目を書いていきます。

すでに素馨花は蕾が出ました。実生で育てた椿が大きくなりすぎ、鉢では無理かと諦めかけていたのですが、動かしてみたら蕾が2つついているのを発見。大喜びして日の当たる場所へ移したら、だんだん蕾に紅色が差してきました。えっ?!ご近所の白椿の木から実を失敬してきて、播いたのです。白花だとばっかり思って十数年育ててきたのに。ま、いいか。