平曲の「木曾最期」

鈴木孝庸さんの「平曲「木曾最期」の<語り>―演誦の場から―」(新潟大学「人文科学研究」140号)を読みました。鈴木さん自身が平曲を語る立場から、「木曾最期」の曲節に特殊な傾向が見られることに気づき、詞章の内容との関係を考察した論文です。

平曲ではこの章段中、巴記事は口説(くどき)や素声(しらごえ)で語られるのに対し、義仲最後の合戦から末尾までは拾(ひろい)を中心として語られるので、巴よりも兼平に重きが置かれていることをまず指摘し、通常、拾は大廻しコハリ(鈴木論文では「昂揚墨譜」と呼ぶ)で締めくくられるのに、「木曾最期」ではそうなっていないことに注目しています。義仲が兼平と共に次々に新手の敵とぶつかり、ついに主従5騎になる部分は拾から中音へ、つまり勇壮さから歌うような調子へと変化し、兼平の奮戦は拾の後が走三重(はしりさんじゅう)で彩られ、義仲の死を口説と素声で語った後、兼平の死が拾で語られて定型の「昂揚墨譜」で締めくくられます。

この節付から、平曲がこの章段(一句)をどのように構成しようとしたかを読み取り、それは「平家正節」以前の「平家吟譜』などの譜本にも共通することを指摘しています。

音曲としての平家と、詞章の文学的内容との関係は、簡単に割り切れない問題で、演奏者や研究者によって意見が分かれるところです。私たちとしては譜本以前の語りと詞章との関係が気になるのですが、まずは証跡のあるところから考察していくべきでしょう。「木曾最期」の読みにも関わる重要な指摘だと思いました。