自由が丘

昨日の朝刊(朝日)の東京欄に、「自由が丘にバンクシー?」という見出しの記事があり、斜め読みしたら、見覚えのある固有名詞が幾つも出てきたので慌てて読み直しました。30代に横浜の青葉台に住み、近所には同年代の軍記物語研究者が何人もいて、勝手に軍記村と称していた思い出は、このブログにも書きました。軍記物談話会(軍記・語り物研究会の前身)の月例会を主催したり、雑誌発行もしました。私のほか、仲のいい夫婦3組がいて(たまには夫婦喧嘩の調停をするはめにもなり)、子育ての過程を具に見せられましたが、その後の歳月は、誰にとっても大波の連続でした。

新聞記事には自由が丘駅前の老舗不二家書店に、バンクシー風の子供と猫の絵が描かれたとあり、地域猫の世話をしている現社長の写真が載っていました。笑顔に面影があるー不二家書店は大正12年創業で、あの頃は女系家族が店を守り、その長女(現社長の姉)と結婚してたった1人の男子として奮闘していたのが、研究仲間だったのです。しかし愛妻が循環器系の発作で突然亡くなり、すべてを背負った彼はやがて体調を崩しました。マッチョを標榜し、義理人情を重んじる人でしたが、いちど一緒に墓参に行った時には、殆ど20分おきに「○○がいた時は・・・」と語り、これは建礼門院右京大夫集の男性版だなあと思いました。

1男1女がいましたが、息子の進路が決まらず、彼の体調は一進一退のようで、遠目で見守るしかありませんでした。やがて息子は店に立つようになって、「父親と息子はいろいろあるが、でも、何とかなるもんよ」と彼が述懐したので、とりあえず安心したのですが、ネットで見たら、息子はすっかりプロの本屋になっていました。体格は父親似、笑顔は母親似です。 https://kanki-pub.co.jp/pub/bookstore/vol13.php