鉄道記念日

昨日は鉄道開通150周年だったそうで、あれ、日本の鉄道の歴史ってそんなもの?と思ったくらい、もっと昔からあったような気がしていました。多分、国鉄がJRに変わった(民営化された)ことが、画期として記憶を分断しているためでしょう。

「汽笛一声新橋を」の鉄道唱歌は、自ら歌など歌わない祖母の世代にも親しまれた歌でした。湘南地方で幼年時代、寝たきり生活の私を祖母が乳母車に乗せて、市内の踏切を見せてくれた記憶があります。長い長い貨物列車が通過するのを見るのが面白かった。時には牛が乗っていたり、石油タンクの車体があったりしました。それ以前、親に連れられて乗車した時には駅ごとに木箱を胸に下げて売りに来る弁当やアイスクリームが珍しかったものです。お茶は瀬戸物の容器に入っていたし、アイスの木匙も懐かしい。

学生時代、級友たちと奥の細道を訪ねる旅行をした頃は、東北は未だ蒸気機関車で、トンネルごとに窓を閉めなければなりませんでした。地方都市では駅は町外れにあることが多く、鉄道は嫌われ者だったのだと教わりました。院生時代、文献調査で全国を歩いた時は、ボックス席で一緒になった人とのつかの間の出会いが、思い出になりました。当時乗った路線は次々第3セクターになったり、廃線になったりして、もはや再訪は叶いません。雄大な北海道を鉄道で縦断、横断しながら風景を楽しみたい、というのが定年後の夢でしたが、コロナ禍で逼塞している内にそれもできなくなったようです。

駅弁の最初が宇都宮だったとは知りませんでした(在勤時代、週に何回かは駅弁を買ったのですが)。出色の駅弁は鳥取の蟹めし、岡山の桃太郎弁当、それに熱海の小鯵鮨でしょうか。高校に勤めていた時、夜の特急に乗り遅れ、新幹線で追っかけたことがあります。途中駅で買った栗飯の駅弁が美味しかったけど、あれはどこだったろう。