峠越え

このところ毎朝整腸剤代わりに飲んでいる牛乳が切れたのに気づき、雪の合間を縫って買いに行くことにしました。鳥取仕様のゴム長(魚河岸で履いているような長靴です)を履いて、恐る恐る出かけました。児童遊園にはさすがに人影はありませんでしたが、子供の足跡が幾つもありました。雪が嬉しくて踏まずにはいられなかったのでしょう。

鳥取在勤時代(30年も前のことです)、太平洋側へ出るにはJR以外に、バスで峠を越えて大阪または姫路に出る方法があったので、ある年の暮にバスで帰京することにしました。大雪の中です。いつもは1台ですが、満員で、2台目の最後尾の席しかありませんでした。やっと乗れましたが、なかなか発車しない。先発車のブレーキの調子が悪いので整備している(!)という。チェーンも巻き直すという―ようやく出発しましたが、ひどい揺れ方です。最後尾の席なので特に揺れるのですが、すぐ後ろがトイレで、タンクが揺さぶられ、その臭気が堪え難く、殆ど吐きそうになりました。

両側は林と崖。雪解けの頃には、前年行方不明になっていた車が(運転者も一緒に)谷底で見つかったという記事が、新聞に出ることもありました。必死で口を抑え、鞄の底に持っていた香水を思いきり振り撒きました(もともと仏蘭西の香水は、巴里の下水道が完備していなかったので発明されたらしい)。隣席の男子学生は、大阪駅で降りる時、礼を言ってくれましたが、今だったらクレームをつけられたかもしれません。

買い物の帰りには、止んでいた雪がまた降り始め、小さな霰になっていました。赴任直前に鳥取へ下見に行った時に、翌朝、ホテルの窓を打つ音に驚いてカーテンを開けてみたら、オンザロックの氷のような霰が降っていたことを思い出しました。