この8月

今年の8月は、例年よりも「さきの大戦」を想うことが多かった気がします。それは父母・祖父母の世代の暗く沈んだ、複雑な表情よりももっと生々しく、灼けた鉄の匂いや蒸れた傷口の匂いのする、まがまがしさに近いものでした。香港、ミャンマー、そしてアフガニスタンと立て続けに、暴力が自由や人権を征服していく過程を見せつけられたせいもあり、もう一つには現政権の成立やコロナ対応が、直接には知らないはずのあの時代を、何故か彷彿とさせるからです。

五輪の合間に慌ただしく放映される、さきの大戦突入時期の国会答弁や政治家の発言映像を視ていると、その時々に聞けば尤もらしく、熟慮選択された政策のように聞こえただろうなあ、反対ばかりしないで協力しよう、という声の方が善良そうに思えただろうなという気になります。しかし後世になって振り返ってみれば、無責任な、あるいは利己的な施策に盲従、雷同して行った結果が一億総懺悔でした。

アフガニスタンを調べてみると、旧石器時代からの歴史があり、紀元前から文明が栄えた土地だったのに、イスラム教と仏教、英国とロシアの対立に翻弄され、今は貧困地帯になってしまったらしい。2001年から乗り込んできた外国勢力は、事態をよくするどころかこじらせてしまいました。あの時、麻の民族衣装をなびかせて颯爽と登場したカルザイの姿は印象的でしたし、医師中村哲さんの死も記憶に新しいのに。

心配なのは女子教育です。オンラインが普及した今、学びたければどこの国の授業へもアクセスできるようなシステムは、作れないのでしょうか。初等基礎教育と高等教育とでは事情が異なるでしょうが、卒業資格は別として、最初の一歩を踏み出せるまでの支援を保障できないか。少なくとも全国の女子大学は、可能性を検討すべきです。