取り戻せるものならば

5歳の子が「もうおねがい ゆるして」とノートに書き続けて亡くなった、という新聞記事は涙なくしては読めません。未だ間に合うものならば、三途の川の手前まで追いかけて行って抱きとめたい。連れ戻したい。何より可哀想なのは、自分がいけない子と思い込まされていたことです。

児童相談所は何をしていたのか、と言いたくなります。親に断られたら、退き下がるしかないのか。日本では、「実の親」至上主義の弊害が大きすぎると思います。親にもいろいろ事情があって、必ずしも子のためにならないことはよくあること。自分を守るために子を犠牲にした母親から、荷を軽くしてやって両方を助ける(つまり、子を引き離す)ことはできなかったのでしょうか。

日本では、養子縁組制度が根付かず、養親になるための条件も厳しく設定されていて、施設に入るか親元で囲い込まれるか、になってしまうらしい。かつて日本テレビで放映された「明日ママがいない」というドラマは、その問題を取り上げた意欲作だったのですが、誤解と誹謗に揉みくちゃにされて、一種の禁忌になってしまいました。

密室状態で一緒にいると、親の感情のはけ場がなく、どんどんエスカレートしてしまいます。そういう場面に遭遇したら、とりあえず呼び鈴を押して、親の感情を逸らすこと。しかし今回のように外部から知られなかったら、児相以外に救出者はいません。数ヶ月、数年だけでも預けられるさきがあったらと思います。複数の家庭が関与し、異世代の見守りが可能な、そういう待避所を、児相の切札として登録しておくようなシステムは作れないものでしょうか、間に合ううちに。