信濃便り・蕗の薹篇

長野の友人から、常山邸の池の鯉も泳ぎ始め、蕗の薹が目につくようになった、と写真が送られてきました。

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常山邸の蕗の薹

信濃は山菜の宝庫です。日常ごく普通に山菜を摘んで食膳に上せるらしく、かつて同僚だった時、春休みに帰郷したから、と蕗の薹をたくさん持ってきてくれたことがありました。薺(白い花の咲く頃のものではなく、未だロゼット状に地面にしがみついている葉を、刃物で剥がして採取する、いかにも精力のこもった芽です)を頂いたこともあります。寒風の中で採った貴重なお土産だと思って、有難く頂きました。蕗の薹は天麩羅とマリネに、薺は粥に入れた(明恵上人が、雑炊に入れた薺があまりに美味しくて、執着心が出てはいけないと、わざと障子の埃を入れて食した説話がある)と記憶しています。去年亡くなった友人のお母さんが、歩けなくなって一番悔しがったのは、山菜採りに行かれなくなったことだそうで、どこで何が採れるか、ケンケン(片足跳び)しながらでも行けたのに、と言われたそうです。

殊に春先の山菜は、採取生活だった元始の心を呼び覚ますのか、私たちの眼と指先に血が廻ります。皇居の土手の一角(濠の向こう側です)に毎年蕗が茂る場所があって、お濠端を通る時はいつも、さぞかし沢山生えるであろう蕗の薹は、今年も空しく花穂になるのかなあ、と考えたりしてしまうのです。