月夜の梟

小池真理子朝日新聞日曜版に「月夜の森の梟」というエッセイを連載しています。およそ1000字ほど、もう5~6回読んだでしょうか。夫藤田宜永が亡くなった後の日々を書いているのですが、毎回、その哀切さに胸を絞られます。夫婦に限らず、大切な人、ずっと併走してきた人が突然いなくなった後の、ぽっかり空いたブラックホール。究極の悲しみは、ときにユーモアや苦笑を纏って顕れるーそんな日常や追憶がさらさらと描かれています。

夫は亡くなる数週間前に、「年をとったおまえを見たかった」と言ったそうで、高齢者の体操教室で、にこりともしないで体操している老夫婦を見ながら、自分たちも、気にくわないことに対する反応が似ていた両人だったと思い出す。同居する家を見立てに行った先で不動産屋から、未だ間に合う、あの男はやめた方がいい、と真顔で忠告され、直木賞受賞が前後した際に思い当たったこと。かつて京都の山里で、乱舞する蛍の1匹が、ホタルブクロの花の中に潜りこんで明滅するのを見たことを、夫にとうとう話す機会がなかったと唐突に思い出し、互いに喋り続け、書き続けた2人だったのに、話さずじまいになったことがたくさんある、と改めて振り返る。

小池真理子が短編の名手であることは知っていましたが、じつにオチが巧い。若手の作家だと思っていましたが、ほぼ同世代なんですね。ずっと以前に短編かエッセイかを読んだことがあるはずですが、もう思い出せません。本屋に寄ったついでに1,2冊買って読んでみたいと思いました。

文学を専門にしているのに、同時代作家を読みたい時に読めないなんて、最悪の生活。そうぼやきながら、今日も時計を睨みつつ校正紙に向かっています。