印度音楽

学部の4年次に、小泉文夫さんが出講されている音楽科の専門科目に、潜り込みました。上級生から、4年次は卒論だけでは辛いから、講義科目を何か受講しておくといい、と勧められたのです。

私は当時、アジア問題に関心があったので、史学科の東南アジア史と音楽科の比較音楽学(小泉さんは民俗音楽という呼称は使わず、比較音楽と呼んでいた)を選びました。小泉さんの授業は明朗で、話が面白く、飽きませんでした。インドに留学して舞踊音楽を調査したのが原点だそうで、指を次々丸めて重ねながら、タリクタタリクタタリクタタ、と複雑なリズムを取って(口三味線と同じで、印度舞踊の稽古には楽器を使わないのだそうです)、時にはピアノを交えて説明されました。指の動きは、訓練された印度舞踊の踊り子の指使いなので、いきなりは真似できません。期末試験はどうなるかと心配しましたが、単位を落としてはいないところをみると、無事に通ったようです。

その時聞いた話ではー印度音楽はすべて即興演奏であるが、季節や場の事情によって使う音階が決まっている。演奏家は、天地に流れている音楽を聴き取って楽器に載せるのであって、耳がよくなければならないが、演奏や作曲の才能というものは問題にされない。また、2音の間を行ったり来たりする音というものがあって、西洋音階のように固定した音ばかりではない等々、目から鱗が落ちることの連続でした。

それから印度音楽に熱中し、印度映画もよく観ました。後年、仏教の無常観は極めて冷静な世界観であって、悲しくも儚くもない、それを生身の人間が受け止めようとする際の摩擦が無常感となり、文学のテーマとなるのだと知ったときに、まさしく悠久の大陸ならではの、時間や存在に関する感覚なのだと、納得がいきました。