昨日は仕事のノルマが早く終わったので、夕食後、NHKーETVでショパンコンクールに関する音楽番組を視ました。今年はコロナで延期されていたコンクールが久々に行われ、日本人も最終選に残っているらしい。10代の頃はピアノに魅せられ、ショパンは早春がよく似合う、と勝手に思っていました。30代後半からは忙しすぎてFMやレコードを聴く暇(心の余裕)がなく、「別れの曲」を座って聴いたのは数十年ぶりです。
あの当時はルビンシュタインの演奏が最高、音を聞いただけで別格と分かる、と思っていたので、白黒のVTRが流れた時は、今の自分にその理由が判るか、という気持ちで聴きました―大人のピアノだ、と思いました。音の輪郭が一つ一つすっきりしていて、力が籠もっているのに余計なものがない。かつてはもっといろいろ感じ取ることがあったような気がしますが、今の私にはそれだけしか思い浮かばず、しかし畏敬の念に包まれました。
ショパン当時の楽器で演奏する企画もあって、1843年製造の小さなピアノの、すこし濁った、しかし懐かしく温かい、川口成彦の演奏や、また東欧の晩秋風景と共に小山実稚恵の協奏曲第2番ラルゲットも流されました。この2人は演奏者自身が楽しみながら弾いているのがよく分かり、つくづくと聴きました。
ショパンの協奏曲を初めて聴いたのは、父がアメリカ出張土産に買ってきたLPレコードによってでした(1950年代)。我が家には未だSP用の蓄音機しかなく、針が違うことを知ったのもその時でしたが、回転数の合わないまま聞いた時の衝撃を忘れられません。小曲だけでなくショパンにはこんな曲もあるのだ、と未知の世界が一気に開けました。
世界は未知のこと、楽しみたいことに溢れてる。早くノルマなんかなしに暮らしたい。ショパンは晩秋もよく似合います。