コロナな日々5th stage

蒸し暑い日が続き、マスクは店に入る前に掛けることにしました。道中苦しいからでもありますが、政府の緊急事態宣言が止んだ途端に若い男子のマスクなし姿が増え、歩きながら、思わず心中で咎め立てする自分が嫌になるからです。今のマスクは、(自分がもし病原体保有者であっても)他人にうつさないためでしょう。

東京アラートが外れ、殆どの規制がなくなりました。その根拠は何?いつかは、何がしかのリスクと共存しながらの日常に慣れなければならないには違いありませんが・・・虚構の親密さを売る場(いわゆる「夜の街」)と、真正の虚弱性・密着性を切り離せない場(介護や保育等々)とを、そ知らぬ顔で往き来する日常は怖い。

市民講座も再開。講師をしている友人によれば、[教室は一回り大きくなり、長椅子でなく机は1人1つ、講師の机の全面には大きな紙芝居の枠のようなものに透明のスクリーンが張ってありました。「これから紙芝居を始めます!」と言ったら、喜ばれました。高齢者が多いので、1人でも感染者を出してはいけないと事務方が頑張っています。]

大学の授業は対面に切り換えるところと、このままオンラインを続けるところと両方あるようです。非常勤を掛け持ちしている後輩に本を送ったら、「久しぶりで紙に触って、ほっとしました」とのメールが来ました。学生からの質疑や提出物に応えるため、連日PCに向かいっぱなしで、肩が上がらなくなったそうです。

朝刊(朝日東京版)で、冒険家角幡唯介さんの「世界一安全な地から」という寄稿を読みました。そしてこれだ!私がずっと抱いていた違和感の正体に近いものは、と思いました。連日、不確かな情報の中に置かれたまま、次々に行動規準を示され、納得するもしないも、その中で生きていくしかない。極地でも日本でも、情況は全く同じです。