以前と以後

コロナで振り回されているのに悲鳴をあまり上げていない、いや上げる暇も無いのが教育現場でしょう。高等教育(大学)、中高、小学校ではそれぞれ事情が違うでしょうが、特に大学ではコロナ以前、以後では授業のあり方そのものが変わってしまうのではないでしょうか。今年の新学期、大学教員は授業内容以外のことで前代未聞の忙しさだった(中には楽しみながらこなした人も?)ようで、それは今も続いているらしい。

いわゆる非対面授業、オンライン授業は、大学による組織的サポートの質も異なり、対象となる学生の状況も異なる中、さまざまな水準で出発しているようです。教員側から、また受講する学生側からの報告やぼやきが、ネット上に散乱しています。もう自分でやることはありませんが、それらの中から、参考になりそうなもの(未知の略称や片仮名語が頻出しますが、飛ばし読みする)を拾い集めて読んでいます。

かつて放送大学の授業(ラジオ)を引き受けた時、困ったのは、相手の知識水準や学習動機が判らず、何より反応が見えないことでした。慣れてくると、ちょっぴり演技をつけた朗読のようなペースでやりましたが、最後まで、反応なしの独り相撲は辛く感じました。

学会も動画中継で、となっていくかもしれません。相手の表情や会場の雰囲気を感じながら討論する習慣は喪われていくのでしょうか。コロナ以前と以後、何が変わるのか、得るものと喪うものは何か、補えるとすれば何に着目すべきか、注意深く見守っていきたいと思います。

ただ学校生活は授業だけではない。図書館や食堂や校庭で過ごす時間、友人や上級生たちと同じ場所にいること、その意味は後年になって解ってくるものです。はやく構内へ戻れますように。