コロナな日々 17th stage

朝一でPCがフリーズしました。最初に、トラッカーを消去しますか?と聞いてきたので、消去すると答えてアウトルックを開けようとしたら、頑として動かず。暫く間を置いてあれこれやってみましたが、依然として頑!

結局、強制終了してまる1日放置し、恐る恐る開けたら低速で動きました。1日の習慣は崩れましたが、時間の総量が増えたことに今更のように驚いています。ネットサーフィンをやめるべきだと思うと同時に、廃棄予定の旧端末のOSを入れ替えて、再利用しようかとも考えました。つまり、PCが使えないと、仕事が何もできない。メールも原稿書きも検索も、すべてこの小さな箱1台に依存するようになってしまったのです。

かなり遅くまで、アナログ&デジタルの使い分けにこだわってきた心算でしたが、書き直しや補充、並べ替えの多い原稿は、労力は要るがワープロ入力の方が処理しやすい。労力が増えたと言う理由は、レイアウトや活字選定、つまり昔なら印刷屋がやっていた作業までも著者がやらなければならなくなった(それだけワープロ機能が向上した)からです。コロナ禍で、個人的な生活スタイルにも、否応なしにデジタル化が迫ります。

でも、オンラインではどうしてもできないこともあります。我々の多くがいま望んでいることは、コロナ以前に当たり前だったことをはやく当たり前にして欲しい、ということではないでしょうか。新しい行動様式も、取り込めるものは取り込めばいいが、現在やむなく延期、または中止した大事なこと、その再開が遅れている内に喪われていくことも山ほどある。五輪強行によって感染爆発が起こり、コロナの終息が遅れることはほぼ確実です。その、目に見えないロスを透視するのが政治家の仕事ではないですか。後年、東京愚輪、誤輪、喪われた20ー21年、などと言われたくはないでしょう。