民放TVの夜のニュースで、坂東玉三郎のインタビューを視ながら、彼のしぐさの美しさに見とれました。殊に、話をする時の指のうごきが、すべて絵になっている-今や当代一の名女形ですから当然かもしれませんが、おちょぼ口や目尻の皺までが、名家の老婦人といった貫禄に満ちています。むくつけきキャスターが喋りすぎるので、音消しボタンで黙らせたくなりました。

彼が未だ10代でデビューした時(時鳥殺し、と言われるいかにも歌舞伎らしい、難しい場面だった)の肢体のしなやかさは鮮烈に覚えています。小児麻痺を克服した(当時、小児麻痺は子供にとって恐ろしい病でした)こと、歌舞伎界の出身ではないのに素晴らしい女形になったこと、意欲的に歌舞伎以外の芸能にも挑戦し、後生の育成にも尽力してきたこと等々、ずっと脇目で見てきました。

高校生時代に、クラシックギターを習いました。大学へ入ってすぐ、荘村清志という若手ギタリストのコンサートの抽選に応募して、友人だけが当選し、聞きそびれました(その後忙しさに紛れて、半世紀後にやっと聴きに行く機会を得たことは、このブログにも書きました)。この間、イエペスセゴビアに可愛がられ、「アルハンブラの思い出」で有名になったのは知っていましたが、先日新聞連載で自叙伝を読み、聞き損なったコンサートの頃は彼は未だ、プロになれるか否かの岐路に立っており、あの当時、日本では、クラシックギタリストになるには悲壮な決意が必要だったことを知りました。

こうして自分でも半生を振り返るようになって、ずっと気になっていた人や文化が、その当時、旬やはしりだったと分かることが多く、感無量です。意識せずに時代の旬を掴んでいたころ、それが青春でしょうか。