昆虫学者の老後

新聞の「ひと」欄に30年前の同僚が紹介されていました。鳥取砂丘のハンミョウ保護活動のリーダーだそうです。私の鳥大赴任1年後に、生物学の助手(現在は「助教」という)で任用された青年でした。寡黙で、人付き合いは殆どないように見えましたが、理系の助手はそういうもんで、きっとほんものの学者になる人だと思っていました。

専門はザトウムシ(蜘蛛の仲間。脚が長くて座頭の杖のように見える)の研究。会議で見た業績書にはダニのような図が出ていたので、ずっと微細な虫(蜘蛛は、厳密には昆虫ではない)だと思っていましたが、調べてみると、そういえばアメンボが陸に上がったような、奇妙な虫を時々見かける、あれがザトウムシなのらしい。

旧同僚の1人とメールで噂話をしました。彼は30年間ずっとザトウムシ一筋で、付き合いも広くなかったが、湖山池(日本で一番大きい「池」です)の再汽水化の際に、県が乱暴な海水の入れ方をしたことがあり、稀少生物のカラスガイという淡水性の貝が絶滅する、と憤激して県に乗り込んでいったことがあるそうで、周囲は冷淡だったが、日本史の人が「城を壊されたら、私も教育委員会に怒鳴り込むと思う。気持ちは理解できる」と言ったら、とても嬉しそうだった、とのことでした。

今は附属中学校長を務め、教育者としての定年が近いようです。新聞の写真は、あの当時のまま老学者の風貌になっていました。最近はコスプレ好きの飛蝗学者や、虫オタクの歌舞伎役者が有名になっていますが、こういう生涯もまた素晴らしい。

斑猫(ハンミョウ)は、未だ東京でも小路は舗装されていなかった頃、草いきれの中を歩くと行く手に飛び出してきて、何故かずっと足元を跳んで行く虫でした。甲羅が綺麗なのと茶褐色なのと2種いましたが、小さいくせに噛みつかれると途方もなく痛い。俳句の世界では、道案内をする虫と見立て、道おしえとか道しるべとか呼ばれています。