庄園経営

手嶋大侑さんの論文「高子内親王家の庄園経営」(「日本歴史」7月号)を読みました。高子内親王仁明天皇の皇女で、賀茂齋院を勤め、貞観8(866)年に亡くなりましたが、筑前国席田郡に庄園を所有し、その庄園をめぐって観世音寺と紛争があり、それに関係する文書(観世音寺文書)が伝わっています。手嶋さんはこの史料を使って、問題の庄田が仁明天皇の死後処分によって高子内親王に譲られ、彼女の没後、内藏寮に売却され、手続きが完了するまでは内親王家が管理していたことをたどりました。そしてこの庄園管理者に当時の筑前介永原永岑が任命されていたこと、高子内親王家と永原氏は個人的な人脈でつながりがあったことを、着実に考証しています。

さらに史料を読み込むと、国司のバックアップがある間は庄園経営が安定しているが、それを離れると紛争には消極的対応しかできなくなることが分かり、こういうあり方は、9世紀後半の院宮王臣家の庄園経営の典型例と言えるのではないかと、手嶋さんは結んでいます。なお院宮王臣家の活動は、国司と富豪層という2つの基盤の上に展開していたという、近年の学説にも符合することにも注目していきたい、という意向のようです。

手嶋さんの論文はいつも手堅い証明があり、慎重で、しかし新見を含んでいるところが特長です。来春3月14日の明翔会主催研究報告会にも、発表をエントリーしているそうで、日本史(特に中古)に関心のある方はせひお出かけ下さい。来聴歓迎です。