名物校長

新緑の季節。今から59年前の議事堂前の新緑の下は、デモの人波で埋め尽くされていました。60年安保改定の年です。私は都立高校に入ったばかりでしたが、放送部の部室で、上級生のいない時にその話が出ました。同級生の1人が、将来は国連職員になって平和貢献する所存だと語ったのを、感心して聞いたことを覚えています。

自由のない女子校で、学校側からはデモ参加は勿論、見物に行くことも固く禁じられていました。しかし、もと男子校の小石川高校では、校長が朝礼で、国会デモに行ったことがあるか、と生徒に手を挙げさせ、少なすぎる、自分たちの国の将来のことだ、と言ったという噂が伝わり、羨ましく思いました。生徒を1人前の人間として扱っている、と思えたからです。

当時の小石川高校校長は落合さんという、名物校長でした。逸話の多い人で、同時期に在学していた神野藤昭夫さんに尋ねたところ、デモの話は記憶にないが、と朝礼の思い出を綴ったメールが来ましたー「映倫の委員をしていて、朝礼などでは、よく映画の話をしておられました。こんどの黒澤映画は、評判ほどじゃないとかなんとか、そういうことを能弁からは遠い話しぷりで、とつとつとするわけです、朝礼で。こちらはすぐ飽きちゃう。すると、上級生から、パチパチと拍手が出る。それがだんだん数が増えて、落合さんはニコニコしながら、壇を下りるというわけ。」団塊世代だった弟が入学した時は、もうふつうの校長がいたようです。

学校には内緒で、いちどだけ議事堂前のデモを見に行きました。庶民が、自分たちで国の運命を守る、という気概を見せた、恐らく戦後最後の機会だったのでしょう。労組や学生自治会の旗のずっと後方に、鉢巻を締めたシャツ姿の男性が、片手に食パン半斤を持ち、片手で4,5歳の女の子の手を引いて歩いていたのを、今でもありありと思い出します。