ぎりぎり

やっと賀状を書き終わり、本日最終の集配にぎりぎり間に合うよう、投函しました(もし元日に間に合わなかったら、皆さま御免なさい)。暗くならないうちにと、慌てて注連縄を買いに出かけました。例年、薬師堂の前に小屋を建てて売るのです。街は人少なになって(サラリーマンがいなくなった)、しかし行き交う人たち(帰郷しない学生や若夫婦が多い)は、用ありげにせかせかしています。

郊外に住む友人の話では、御用納めから大晦日の街は、いつもは運転しない親父たちが妻にせっつかれて車を出すので、危なくって、だそうです。似たような話で、イクメンの乳母車はこわい。男性はいつも人をよけることなく(よけられて)歩くのに慣れているので、乳母車を先に立てて突っ込んでくるからです。いちばん弱い者を前方に押し出して歩いているんだ、ということを分かっていないらしい。乳母車は、いざという時覆い被さって守れるように、自分の身体に引きつけて押すものではないでしょうか。あれじゃまるで、スーパーのカートで道を空けて行くのと同じです。

明日は花を買いに行きます。老舗の花屋が代替わりして、大晦日は昼までしか営業しなくなり、早く行かないと何もないからです。以前は年越し蕎麦を食べた後に、花屋で残った花を安くして貰って、どっさり活けたものでした。肉屋の大将が老健施設へ通うようになって、休業が多くなりましたが、大晦日はやってます、と女将が言うので、お雑煮用の鶏と煮豚用の赤身を予約しました。そうそう、和田珈琲店は、今日が最後でした。この街も変わっていきます。

私もぎりぎり、こんな年越しがいつまで続けられるかなと思いながら祝い箸を買って、銀杏の落葉が積もった道を帰りました。