看護師の涙

先日、東大の臨床死生学の講演会で、患者に死なれた医療関係者の心のケア、という話題が出たとき、会場の空気がぐっと迫るのを感じました。当事者、経験者が多かったのでしょう。同じ頃、TVドキュメントで、救急病院の24時間を追う番組がありました。担当した患者が亡くなった後、霊安室で泣いてしまったことを恥じる新米看護師を見ていたベテランが、TVカメラに向かって、自分も駆け出しの頃ああだった、時代が変わっても同じだと判って安心した、と語っていました。新人教育を任されたばかりで、教育方針に迷っていたところだったらしい。

それで、また看護師さんのことを書く気になりました―16年前、家族を看取った後、喪主になるはずの私は、とうてい泣くどころではありませんでした(終末期には、見舞って帰るタクシーの中でずっと泣きましたが)。厖大な、しかも初体験の手続きと、関係者からの連絡を捌き(青山斎場の住居表示を、裏付け取りと称して電話で聞いてきた経済記者もいました)、さまざまな段取りをし、老人ホームの退去を準備し・・・そんな中で、泣いている担当看護師さんを、看護師長さんが抱きかかえているのを見て、代わりに泣いて貰っている気がし、一瞬ですが癒やされました。

弟を見送った時も、訪問看護師さんから、形見にサボテンの鉢を下さい、と言われ、病身の弟にも喜怒哀楽のある人生があったことを実感しました。入退院を繰り返していた弟が、留守の間に咲いたサボテンを見て、嬉しがったのだそうです。

今でもあの方々には、恩に着ています。看護して下さったことと同じくらい、泣いて下さったことを。