字余り

朝刊の川柳欄の1句に、今ぴったり、と大いに共感しましたーあちこちへ討ち入りしたき師走かな。

全くです!消費増税は、あれやこれや姑息なサービスをつけて骨抜きになる。まるで竹鋸で首を切るようなやり方です。どうしても必要なら必要額だけ上げて、その代わり、それで当分まかなえるように財政をやって貰いたい。そもそも税の徴収は誰にでも一目で解るような、明快な方法で行われるべきです。

出入国管理法改定には人手不足を理由にしていますが、現状把握が十分出来ているのか、あやしい。年金や保険制度は吟味したのか。国際社会に向かって、我々が恥ずかしくない、しかし持続可能な、つまり将来に亘って多国籍の人々とふつうに共生出来る制度設計をしたのか。

産業革新投資機構などという、巨大なカネクイムシがいつの間にか生まれていたし、水道法改正の結果、災害時の供給と普段の水質が全国どこでも保証されるのかどうか、不安です。それもこれも、1強総理の下、実務能力の著しく低下した官僚たちが作る政策が穴だらけ、乃至は民を忘れて作っているように見えます。

悲憤慷慨しながら再度川柳欄を見直したら、投稿句は、正しくはこうでした―討ち入りをしたきところ多き師走かな(青田敏武)。はっとしました。人間はつい定型にはめて記憶したがるが、この句はやっぱり、こうでなくっちゃいけない。字余りによって表現される気持ちは、字句の意味と同等です。つまり、型式は内容である。