農業高校

大学院を出てすぐ、都立の農業高校に勤めました。教採は合格したのですが、博士課程出女子を現場ではなかなか採用してくれず、留年届を出し、非常勤先の約束も決まった3月29日、明日面接をするから履歴書持参で来い、と電話がかかってきました。もう履歴書用紙の準備もありません。やむなく翌朝、文房具屋で買った用紙に、先方の窓口で記入していたところ、職員が我が家へ確認の電話をしています。ここにいまーす、と手を挙げたかったが・・・

都は、28日が教頭昇格試験合格者の発表なので、転出者があり、先方も後任を探すのに焦っています。その場で採用が決まりました。翌日、東京は大雪。その日のうちに履歴証明を揃えて来い、と言われ、学部、大学院、一時勤めた会社、と駆け回りました(この時初めて、立ち蕎麦というものを食べました)。

教頭は北大農学部出の人でした。当時の定時制は、個性の強い教員が揃っていました。生徒の方は、23区内では農業志望は殆どなく、さまざまな理由を抱えて進学してきます。経済的理由、家庭内の理由、発達障害や関係障害、問題行動を起こした為の転校等々。しかし農業高校は包容力が大きい。1年経ち、2年経つと、自分の居場所を自分で作れるようになります。作物は、毎日手を掛けた上で、待たねばならないからです。人間の都合ばかり言っても、どうにもなりません。それに、土を触るのは情緒が安定するものらしい。4年目には頼もしい若者になって出て行きます。

文化祭には、生徒が作った農産物の品評会や即売会があり、近所の住民が行列を作ります。すぐ完売になり、教員でも手に入りません。都知事賞も出ます。シクラメンなど、茎のびっしり揃ったみごとな鉢が並びます。