美濃国便り・大雪篇

岐阜の中西達治さんから、「すごもり通信・雪が降る」が来ました。そう言えば年末年始、北陸と同様、岐阜も大雪、というニュースが報じられていました。

【雪は冬の風物、シャンソンは無理ですが、つい「雪やこんこ 霰やこんこ」と口ずさみたくなります。この冬は思いがけない大雪が何度も続きました。

芭蕉の「雪見にころぶところまで」は、芭蕉44歳の時、『笈の小文』の旅に名古屋で詠んだ句です。初五には「いざ出でん(初稿)」、「いざさらば」、「いざ行かん」など異同がありますが、名吟の一つに数えられています。これとは別に、芭蕉と凡兆の句をめぐるやりとりも、『去来抄』に伝えられています。

「下京や雪つむ上の夜の雨 この句、初めに冠なし。先師(芭蕉)をはじめいろいろと置き侍りて、この冠に極め給ふ。先師曰く、『兆、汝手柄にこの冠を置くべし。もしまさるものあらば、我ふたたび俳諧をいふべからず』となり。」

同席した去来自身、芭蕉の言に懐疑的だったようですが、雪から雨に変わる底冷えの寒さは、庶民の町下京という象徴によってこそイメージ化されると芭蕉は言いたかったのでしょうか。いつのころからか、雪見酒など、雪は暖かくした所で眺めるものになったようですが、文化9(1812)年、50歳で故郷信州柏原に帰った一茶が見たのは、「これがまあ終の栖か雪五尺」という厳しい現実でした。1月4日の中日新聞のコラムには、同じ一茶の「雪行け行け都のたはけ待ちおらん」という句が引用されていました。雪が降るのを喜んでいる風流人を皮肉っているわけです。(中西達治)】

手紙の最後には、元日に、揖斐川の上流にお年賀に行ったが、入り口で立ち往生した、と一面の銀世界の中、スコップを持って立ちつくす写真が貼付されていました。