大試験

俳句の季語に「大試験」というのがあります。卒業試験や入試などを指すらしい。春の季語ですが、現代では全国一斉のセンター試験が該当するでしょうか。南北に長い日本列島でこの季節に、秒単位で全国一斉の大試験というのにはそもそも無理がある、在宅端末で受験できるようにはならないものか、とぼやいたら、物理学の教員に、ハッカー対策ができない、と諭されたことがありました。

しかも年々、監督者にとって会場の統率が難しくなります。受験生が机上に出せる物が増え、受験生の注文が増え(隣席の人の体臭が気になるから席を変えて欲しい、という申し出があったこともありました)、まるで受験生が監督者を監督しているあんばいになったりします。監督する方は、受験生の気にならないよう、目に入らないように気を遣うのですが、しっかり監督していない、というクレームが来たりするのです。

監視されないのは信用されている証拠、とは考えられなくなっているのでしょう。何だか心が寒い。教職員の数が多い割に引き受ける受験者数が少ない会場校はいいのですが、そうでない場合は、2日間の緊張と立ちんぼ(最後に勤めた職場では、居眠りしないよう監督者には椅子が与えられませんでした)の挙句、翌日は平常業務なのですから、壮健な人でないと務まりません。

高校卒業資格の認定を年間いつでも受けられるようにし、あとはもう、各大学ごとの選抜方法に任せてもいいのでは。高望みをしなければ全入、しかも中退後でも再入学や通信教育制など、多様な復活戦が用意される時代になったのですから。尤もセンター試験は今やビッグビジネス、やめたら雇用問題が生じるのかも知れません。