平忠盛・清盛父子は日宋貿易にも力を注いでいました。特に清盛は貿易のための港や航路を整備します。大輪田の泊り(神戸港)の改修工事もその一つです。
【厳島神社(兵庫弁天)】
承安3年(1173)頃、清盛は風の強い大輪田の泊りに防風の目的で築島(経ヶ島)を築きます。その際、霊夢のお告げによって厳島神社を勧進したという伝説があります。かつて境内には清盛ゆかりの「燈籠の松」があったようです。
【松王丸の石塔(来迎寺)】
築島の工事が難航したため、石に一切経を書いて築いたことから経ヶ島とも呼ばれます。『平家物語』は人柱の代わりとしますが、幸若舞曲「築島」では、清盛の従者松王が30人の身代わりになって人柱に立ちます。来迎寺(築島寺)には松王丸の人柱伝説があり、清盛が松王の供養のために創建したとされています。
【妓王妓女塔(来迎寺)】
来迎寺境内には、清盛によって人生を翻弄された祇王祇女の供養塔もあります。
物語の清盛は弱者を苦しめる傲慢なイメージですが、松王や祇王祇女の逸話は史料では確認できず、実際は経済政策にも優れた手腕を発揮する優秀な政治家だったのです。
【浄海入道 平清盛像】
音戸の瀬戸(広島県)の工事の際、清盛が夕日を扇で招き返したという伝説は有名ですが、神戸市の平野地区にもこの伝説をイメージした清盛像があります。