過去のある世界

ようやくカズオ・イシグロの本が店頭山積みになったので、『遠い山なみの光』、『浮世の画家』、『夜想曲集』を買って読みました。初めの2冊は戦後の日本(主に長崎)が舞台です。作者自身が言っているとおり、川端康成小津安二郎の雰囲気が漂っていますが、でも舞台は別に日本でなくてもいい、この世界のどこか、という感じがします。殊に『遠い山なみの光』の女性2人の会話は、現代のママ友みたいであまり現実味がなく、原爆の影も感じられず、いくら郊外だったとしても敗戦後の長崎は連想できません。比喩の世界のお話のように受け取ればいいのでしょう。

浮世の画家』には『日の名残り』に通じる、晩年に振り返って見た己れの生涯と時代の流れとの関わり―その取り返しのつかない感覚と諦めと、つましい自己肯定とが描かれていますが、追放問題や戦犯のニュースなどは全く出て来ず、その分薄味です。

夜想曲集』は三題咄のように音楽・夕暮・夫婦という共通性のある、短編5編が収められていますが、楽しめました。特に「老歌手」「チェリスト」の2編は、この作家の持ち味がよく熟していて、仕掛けを工夫する彼には、長編よりも短編の方が向いているのではないかと思います。

これまで読んだ5冊の作品からいうと、イシグロの世界にはいつも過去があり、その上でささやかに未来がある。老後になって彼に出遭ったのは、よかったかもしれません。彼の育った風土はやはり英国、日本生まれかどうかは問題にならないと思います。これからはこういう「国際人」、国籍や父祖の出身地は二次的要素でしかない人たちの活躍が多くなるのでしょう。

いい作品の読後には幸福な眠りを得ることができるー晩酌を控えるようになった代わりに入手した楽しみです。